江戸時代の遊女たちの平均寿命は、22歳程度だったと言われています。
江戸時代、遊女の最期は寺に投げ込まれていた?苦界に身を落とした遊女たちが眠る浄閑寺とは
遊女の仕事は過酷な上、ほとんど家の中で日にも当たらず、食べて寝るだけの生活をしていました。
客待ちをする遊女
そんな遊女たちが特にかかりやすかった病気には、どのようなものがあったのでしょうか?
■梅毒などの「性病」
「やはり」と思う方もいるかもしれませんが、遊女という仕事柄、最もかかりやすかった病気は「性病」でした。
江戸時代にも避妊具や避妊法はありましたが、効果の乏しいものがほとんどだった為、遊女は不特定多数の男性客と避妊具なしで行為を行っていました。
効果が乏しいものばかり…江戸時代にはどんな避妊具や避妊の方法があったのでしょうか?
そのため、梅毒(ばいどく)などの恐ろしい性病にかかる遊女が非常に多かったのです。

当時は梅毒の有効な治療法もなかったため、完治させることはできませんでした。
その一方で、梅毒を経験した遊女は妊娠・出産しにくい体になり、見た目も病気の激しい苦しみで痩せこけて青白い肌になって「遊女としての格が上がった」「一人前の遊女になった」とみなされました。
梅毒が末期近くまで進行すると「ゴム腫」と呼ばれる弾力のある腫瘍が全身にでき、それが壊死して崩れます。
「梅毒になると鼻が落ちる」と言われることがありますが、ここまで進行すると遊女の命である容姿に影響を与え、更には全身が冒されて命にもかかわるようになりました。
■当時はかかったら助からない「肺結核」
性病以外で遊女がよくかかった病気は、労咳(肺結核)でした。
2007年に放送されたドラマ「吉原炎上」でも、星野真里さん演じる花魁「白妙(雪乃)」が肺結核を患うシーンがありました。
新選組の沖田総司、幕末の志士・高杉晋作、作家の樋口一葉などの命を奪った病気でもあり、遊女だからかかりやすいというわけではありませんでしたが、当時はかかったら助からない病気でした。

高杉晋作
遊女は多くの客を至近距離で接客する上に、栄養と運動不足が極端な生活を送っていたため、感染の機会が多く、また過酷な生活ゆえに悪化させるリスクも高かったと思われます。
■嫌な客を断るための仮病の場合も!?「癪(しゃく)」
時代劇に「持病の癪が…」とうずくまる若い女性がよく登場しますが、遊女もこの「癪(しゃく)」をよく患っていたようで、川柳に詠まれています。
一分出し 夜の明ける迄 癪を押し
(遊女は、客が嫌だと仮病の「癪」になる)
傾城の癪 人を見て おこる也
(遊女は、嫌な客には「癪」を理由に同衾を拒否する)
「癪」とは、原因が分からない痛みを伴う内臓疾患を一括した俗称で、現代なら胃痙攣や胆石症、胃痛、虫垂炎(盲腸)、生理痛などの腹痛すべてを指しました。
川柳によく詠まれているのは、遊女が嫌な客を断るときに「癪」を仮病に使っている様子ですが、遊女は若い女性ですから生理痛に悩むことは実際多かったでしょうし、仕事のストレスから胃が痛むこともあったことでしょう。
いずれにせよ、遊女には
「年季は最長10年(客をとらない禿時代は年季のうちに入らない)、27歳(数えで28歳)で年季明け」
という原則がありましたが、現実には年季明けを迎え晴れて妓楼から出られる遊女は、決して多くはなかったのです。
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