皆さんの中に、親戚や知り合いの結婚式などで訪れたキリスト教の教会で
「いつくしみ深き 友なるイエスは 罪とが憂いを 取り去りたもう」
という歌詞の讃美歌『いつくしみ深き』を聴いたことのある方は多いことでしょう。
また小学校の音楽の授業で、文部省唱歌として知られる
「かがやく夜空の 星の光よ まばたく数多(あまた)の 遠い世界よ」
という歌詞で始まる『星の世界』を歌ったことのある方も、これまた多いでしょう。
メロディーが全く同じ2つの曲の歌詞の内容が、全く異なるのはなぜなのでしょう?
日本の公立学校では、教育基本法9条の
「 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」
という条文に基づき、宗教教育は禁止されています。
だから讃美歌の歌詞が、宗教的ではない内容に変更されたのでしょうか?
いいえ、実はそこには「文明開化」が関係していたのです。
■2つの曲のメロディーが同じな理由は?どちらが先なの?
結論から言うと、先に世の中に出たのは讃美歌『いつくしみ深き』の方でした。この曲の原題は『What A Friend We Have In Jesus』。
一生を奉仕活動に捧げたアイルランドのジョセフ・スクライヴェンによって作詞され、アマチュア作曲家(本業は弁護士)のチャールズ・コンヴァースが曲をつけました。
スクライヴェンはアイルランドの裕福な家庭に生まれ、名門トリニティ大学を卒業しましたが、婚約者を事故・病気で2度も失うという悲運に見舞われました。
そんな絶望的な人生の中でもキリストを信頼する気持ちが、この歌の中には込められています。
彼は1886(明治19)年に亡くなりましたが、後にこの歌は賛美歌集に収録され、広く知られることとなりました。

一方このメロディーが日本に登場したのは、それよりも後の1910(明治43)年のこと。
この時は、詩人・劇作家・翻訳家として知られる杉谷代水(すぎたに だいすい)の作詞により『星の界(よ)』として紹介されました。
「月なきみ空に きらめく光 嗚呼その星影 希望のすがた」
昭和40年代に入ると、詩人で評論家の川路柳虹(かわじ りゅうこう)が新たに詞をつけた『星の世界』が発表され、これが現在でもよく知られています。
これらの他にも、
「母ぎみにまさる ともや世にある 生命の春も 老いの秋にも」
「何にか譬(たと)えん 尊き母を 夜すがら輝く 御空(みそら)の北斗」
などの母親を思う内容の歌詞がつけられたバージョンの日本語歌詞が存在します。
■この現象は明治の「文明開化」が関係している?
このように外国の民謡が日本で定着した例は、決して少なくはありません。
たとえば『線路は続くよどこまでも』は、アメリカの大陸横断鉄道建設に携わったアイルランド系の工夫によって歌われた歌が原曲となっていますし、『埴生の宿(はにゅうのやど)』はイングランドの『ホーム・スイート・ホーム(楽しき我が家)』という民謡が元となっています。
明治時代は、文明開化とともに「欧米列強の進んだ音楽教育を取り入れよう!!」という動きが高まりました。

横浜異人商館之図 (歌川貞秀 画)
そのためドイツやスコットランドなどの民謡に日本語の歌詞をつけた楽曲が、明治初期に発行された音楽の教科書「小学唱歌集」に積極的に取り入れられ、それが「日本の歌」として現代まで知られるようになったのです。

宗教的な内容かどうかよりも「子供に分かりやすく」を最優先に訳されたのですね。
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