坂本竜馬の妻としてよく知られている女性は、お龍(楢崎龍=ならさきりょう)です。
しかしお龍と出会う前、竜馬には別に婚約していた女性がいました。
Wikipedia/坂本竜馬
その女性の名は、千葉佐那(左奈、さな子などの表記もあり)。竜馬が師事した北辰一刀流桶町千葉道場の創設者・千葉定吉の次女として1838(天保9)年に誕生し、彼女自身も10代で北辰一刀流小太刀の免許皆伝となり、長刀(なぎなた)の師範でもあった女性でした。
19歳のときには伊達家の姫君の剣術の師範も務めたというから、その実力のほどが伺えます。
そして剣術が強いだけでなく、容姿の美しさも評判でした。周りからは「千葉の鬼小町」「小千葉小町」などと呼ばれていたそうです。まさに「才色兼備」の彼女、坂本竜馬が登場する幕末時代劇に登場することも多いため、名前をご存じの方は多いのではないでしょうか?
佐那が剣術修行中の坂本竜馬と出会ったのは、16歳の頃でした。婚約したのは1858(安政5)年頃だったと、後に佐那自身が回想しています。
■竜馬が去った後、千葉佐那はどうなったの?
しかし竜馬と佐那は、そのまま結婚して幸せに…とはいきませんでした。
竜馬は1858(安政5)年に剣術修行を終えて故郷である土佐藩へ戻りましたが、時代が幕末の動乱期に突入していたこともあり、そのまま佐那とは疎遠になってしまったのです。
そして1864(元治元)年に後の妻・お龍と出会い、同年の池田屋事件後の8月に内祝言を挙げています。
「えっ、佐那はどうするの!?」
と驚きの展開ですが、その後竜馬が1867(慶応3)年11月15日、京都の近江屋で暗殺されてしまったのは、皆さんもご存じのとおりです。
佐那は竜馬の早すぎる死を知らされると、父の千葉定吉が彼女と竜馬の結婚のためにと仕立てた坂本家の紋付の片袖を、彼の形見にしました。
そして竜馬のことを思い続け「私が坂本竜馬の妻です!」と一生を独身で過ごしたとも、明治に入ってから元鳥取藩士の山口菊次郎と結婚してその後離婚したとも伝えられています。
明治維新後は学習院女子部で舎監を務める傍ら灸治院を開業し、59歳で亡くなりました。
■佐那の灸治院跡が、都内某所にあった
佐那の経営していた灸治療院の跡は、現在の東京都足立区にあります。そこは京成線・千住大橋駅から日光街道を南方向へ徒歩5分くらい進んだ小さな区画です。

坂本竜馬室 千葉サナ灸治院跡
佐那の灸治院は、なんと第二次世界大戦前まで、彼女の子孫によってここで続けられていたのです。現在この場所に建物はなく、駐車場として利用されています。

灸治院の看板の隣には、阿井景子著『竜馬のもう一人の妻』が引用されたボードが掲げられていました。

幕末の動乱に翻弄されながらも、婚約者・竜馬を思いながら強く生きた女性だったことが伺えますね。
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