とかくカネのかかる世の中ですが、それは昔の人も同じだったようで、随筆『徒然草(つれづれぐさ)』の作者として有名な兼好法師(けんこうほうし)も、おカネには随分と苦労したそうです。
しかし人間の幸せなんてものは、カネの残高よりも心持ち一つでどうとでもなるもの……そんな事を教えてくれる愉快なエピソードを紹介したいと思います。
■「夜も涼し……」友人と和歌のやりとり
さて、当時売れっ子として各方面で引っ張りだこだった兼好法師。しかし、その暮らし向きは決して楽ではありませんでした。
「困ったなぁ、もうお米がないや。それと、月末の支払いどうしよう」
なければ調達するしかないのですが、稼ごうにも一生懸命働いたところで収入は安定しない……となれば、借りるor貰う外にありません。
兼好法師「少し、お分け下さらぬか」隣人「そんな余裕はありゃしないよ」子供「お腹がすいたよう」
とは言うものの、ただ「米と銭が欲しい」と無心するのも芸がない……そこで兼好法師は、友人の頓阿(とんあ)に宛てて一首の和歌を送りました。
「夜(よ)も涼し 寝覚(ねざめ)の仮庵(かりほ) 手枕(たまくら)も 真袖(まそで)も秋に 隔てなき風」……随分と侘しい暮らしぶりが目に浮かぶような歌ですが、だから「米やカネを都合してくれ」というのは、ちょっと遠回しではあるものの、別に気が利いたアプローチという訳でもなく、ちょっと兼好法師らしくないような気がします。
【意訳】夜もすっかり涼しくなって、粗末な仮住まいに寝起きし、手を枕の代わりに、着物の両袖を布団代わりにするような粗末な生活なので、秋風の寒さをしのげないのです。
ともあれ後日、頓阿から返歌(へんか。お返しの和歌)が届きました。
「夜(よる)も憂(う)し 妬(ねた)く吾(わ)が背子(せこ) 果ては来ず 等閑(なおざり)にだに しばし問いませ」寒いのは(暮らしの侘しさ故ではなく)、愛しの彼が来なかったからでしょう……そんな回答ですが、これを読んだ兼好法師は「我が意を得たり」とばかりに笑い出しました。
【意訳】一晩じゅう待ったのに、愛しの彼は結局来てくれなかったそうですね……誠に残念ではありますが、その理由については、少し考えてみて下さい。
悠長に歌のやりとりなどしている場合ではないでしょうに、一体全体どういう意味なのでしょうか……それで結局、カネと米は貰えるのでしょうか。
■ユーモアのセンスが通じ合う喜び
兼好法師はなぜ笑ったのか、そして頓阿の返歌には、一体どういう意味があったのか……その謎を解くカギは歌の文言ではなく、各行の最初と最後の一文字にあります。
どういう事か、わかりやすく両者の歌を平仮名にしてみましょう(※濁点を除きます)。
【兼好法師の歌】
「よ」もすす「し」
「ね」さめのかり「ほ」
「た」まくら「も」
「ま」そてもあき「に」
「へ」たてなきか「せ」
【頓阿の返歌】行頭の文字を縦読みすると、兼好法師は「よねたまへ」つまり「米(よね)給(たま)え=お米を下さい」というメッセージを発しているのがわかります。
「よ」るもう「し」
「ね」たくわかせ「こ」
「は」てはこ「す」
「な」おさりにた「に」
「し」はしとひま「せ」
同じ要領で頓阿の返歌を縦読みすると、「よねはなし」つまり「米は無し」と言っており、これは本当に蓄えがないのか、あるいは「あなたに分けるほど多くの米はない」と言いたいのかは判りませんが、それを追及するのは野暮というものです。
そして行末の文字ですが、今度は下から上に読むと兼好法師が「銭も欲しい(せにもほし)」と言っているのに対し、頓阿は「銭は少ししかない(せにすこし)」と答えているのがわかります。

「うぅむ、頓阿の歌才もなかなかじゃのぅ」意外と余裕な兼好法師(イメージ)。
愛しの彼はなぜ来てくれず、兼好法師は仮庵で独り寒さにふるえなければならなかったのか……その理由は「米がなく、銭も少ししかなかった」からに他なりません。
この様子では米も銭も分けてもらえそうにありませんが、兼好法師には友人が自分のセンスを理解してくれたことの方が嬉しかったようです。
■終わりに
襤褸(ぼろ)を着てても心は錦……どんなに貧乏しても、常にユーモアを忘れない兼好法師の人柄が偲ばれるエピソードでした。
しかし、頓阿もよく解読できたものです(レベルが釣り合うから友達でいられたのでしょうが)。知的なインテリとして大人気だった兼好法師ですが、実際身近にいたら、ちょっとめんどくさい人だったのかも知れませんね。
※参考文献:
蛇蔵・海野凪子『日本人なら知っておきたい日本文学 ヤマトタケルから兼好まで、人物で読む古典』幻冬舎、2011年8月25日
吉田兼好『新訂 徒然草』岩波文庫、1985年1月1日
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