刺客となった悲劇の皇后!日本神話のヒロイン・狭穂姫命と兄の禁断の関係【中】
垂仁天皇(すいにんてんのう)の皇后・狭穂姫命(さほびめのみこと)は、人妻の身でありながら実の兄である狭穂彦王(さほびこのみこ)と愛し合っており、結婚後も密会を重ねていました。
ある時、兄から皇位乗っ取りの野心と垂仁天皇の暗殺計画を知らされた狭穂姫命は、刺客として短刀を渡されますが、垂仁天皇の深い愛情を前に断念。
すべてを白状した狭穂姫命は、もうすぐ生まれる兄との子を抱えながら、兄の元へと逃げ込んだのでした……。
■炎上する城の中から
「最早そなた達に勝ち目はない……お願いだ……狭穂彦王についても、罪一等を減じて助命を約束しよう!だから愛しの姫君よ……どうか我が元へ戻って来てくれ……!」
兄・狭穂彦王の立て籠もる稲城(※1)を完全包囲した大軍の中から、垂仁天皇が悲痛な叫び声を上げています。これではどっちが攻めているのか分かりません。
しかし、狭穂姫命の返事は変わりません。
垂仁天皇の深い愛情に堪えられなかった狭穂姫命。
「いいえ……わたくしは主上の深き愛情を受ける価値のない不義の身なれば、同じく不義の兄ともども、ここで果てる覚悟にございます……!」
そう言い放つと、いよいよ陣痛が始まったのか、出産のため奥へと引っ込んでしまいました。
「そんな……!」
がっくりと項垂れる垂仁天皇の姿を見下ろして、狭穂彦王は高笑い。
「ははは……たかが女ひとりに、一天万乗(※2)の君もザマぁないな!……さぁ、これで気が済んだ。者ども、城に火を放て!」
最愛なる妹の奪還、そして垂仁天皇の屈伏をもって野心を満たした狭穂彦王は、家臣たちに命じて城に火を放たせます。
「やめろ、やめてくれ……!」
見る間に炎上する城の中から、元気よく赤子の産声が響いてきました。
■炎の中で生まれた子供
「おぉ……ついに我が子が生まれたか!」
出産を終えた狭穂姫命が再び城の上に姿を現し、赤子を抱いた侍女の一人が、垂仁天皇の元へやって来ました。
「主上……どうかその子は、その子だけは幸せにしてあげて下さいませ……!」
産後の疲労で意識も朦朧とする中、狭穂姫命は必死の想いで懇願します。
「もちろん……言うまでもない!しかし、この子の名前は何とつけようか!」
赤子を抱きしめる垂仁天皇に、狭穂姫命が答えます。
「炎の中で生まれた子にございますから、誉津別命(ほむつわけのみこと※3)となさいませ……!」

狭穂姫命の最期。Wikipediaより。
炎の中で生まれた、炎によって別(わか)たれてしまった二人の子供……その意味を悟った垂仁天皇は、残る未練に再び問います。
「そなたの結んでくれた下着の紐(=二人の絆と、それを失う悲しみ)は未だそのまま……これを一体、誰がほどいて(心の傷を癒して)くれるのか!」
「わたくしの姪に、兄比売(ゑひめ)と弟比売(おとひめ)という美しい姉妹がおります。わたくしと違って貞節な者たちですから、どうか末永くお慈しみ下さいませ……!」
「姫よ……我が君よ……!」
すると俄かに火勢が強まり、焼け崩れる稲城が狭穂姫命と狭穂彦王たちを呑み込んでしまったのでした。
■エピローグ
その後、垂仁天皇は狭穂姫命の遺言通りに兄比売たちを迎えます。兄比売は皇后となって日葉酢媛命(ひばすひめのみこと※4)と称せられ、第12代・景行天皇(けいこうてんのう)や、伊勢の地に神宮を祀った倭姫命(やまとひめのみこと)など、多くの子を授かりました。

狭穂姫命をめぐる略系図(諸説あり)。
また、狭穂姫命の忘れ形見となった誉津別命はこれも印象的なエピソードを残していますが、その詳細は別稿に委ねます。
垂仁天皇は「仁を垂れる」という諡(おくりな。死後に贈られる称号)の通り、末永く仁政を敷いて人々に称えられましたが、その御心の片隅には、ずっと狭穂姫命が生き続けていたことでしょう。
【完】
(※1)現代の東京都稲城市ではなく、稲で築いた城とされる。
(※2)いってんばんじょう。一つの天を治め、一万乗の戦車(=大軍)を率いる者=天皇陛下の意。
(※3)『日本書紀』での表記。『古事記』では本牟都和気命。
(※4)『日本書紀』での表記。『古事記』では氷羽州比売命。
※参考文献:
福永武彦 編『現代語訳 古事記』河出文庫、2003年8月5日
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