小林一茶(こばやし-いっさ)と言えば、江戸時代を代表する俳諧人として名を馳せ、「江戸三大俳人」の1人として松尾芭蕉や与謝蕪村と並び立っています。

加えて、一茶の人生には継母の壮絶ないじめにより15歳で家を出されたり、実父の遺産を巡って長期間継母と争い続けたりと不幸を呼び寄せてしまう体質の持ち主でした。


しかし、そんな一茶にも52歳で結婚する幸運が訪れます。そして、一茶はこれまでの人生を帳消しにするかのように、性生活でとんでもない絶倫っぷりを発揮しました。

今回は一茶の知られざる性生活をご紹介します。

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 小林一茶/Wikipediaより

■24歳差の年の差婚だった!

文化11年(1814)、遺産問題が終息し江戸から帰郷した一茶は隣村の「きく」と結婚します。52歳の一茶と28歳のきくの間には24歳の年齢差がありました。

お盛んだこと…江戸時代を代表する俳人「小林一茶」の絶倫すぎる性生活を紹介


親と子の年齢差であっても2人は仲睦まじい生活を送り、文化13年(1815)4月には長男の千太郎をもうけます。しかし、千太郎は一ヶ月も経つことを待たずして亡くなってしまいました。

■すごすぎる一茶の性生活

千太郎の死後、一茶は子ども欲しさに焦ったのか、きくと何回も性交をするようになりました。

一茶の記した日記によると、文化13年(1815)の8月8日には5回、続けて12、17、18、20日は3回、21日は4回と一茶はきくとかなりの回数におよぶ性交をしていました。

1日一回なら納得いきますが、一晩で最大5回も性交をできる一茶の絶倫ぶりには驚愕をしますね。しかも54歳でここまでの精力を持ち合わせていたとなると若い頃の一茶は性欲をもてあましたことが想像できそうです。

■一茶の絶倫が災いし…

しかし一茶との性交と普段の畑仕事の過労が祟ったのか、きくは文政5年(1822)に3男である金三郎(こんさぶろう)を産んだ後に病気がちになってしまい、翌年に37歳の若さで亡くなってしまいます。


きくの死を嘆きつつも、再婚したい願望があった一茶は2度の再婚をします。

そして、一茶は文政11年(1828)に65歳で亡くなりますが、3番目の妻「やを」には一茶の娘である「やた」を身ごもらせていました。

一茶は死を目前にしても精力は衰えを知らなかったようです。

■最後に

多くの有名な句を残していた一茶だけであって、このような話は非常に面白いです。まさかの一茶が晩婚と、それに付随してここまで絶倫だったとは思いませんでした。

多くの人々の心を打った俳諧の有名人も普段の人と何一つ変わらない生活を送っていたのを知れると何故だか安心してしまいますね。

参考

  • 島崎晋『ざんねんな日本史』
  • 永井義男『江戸の性の不祥事』

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