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モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指した悲劇の英雄・バボージャブの戦い【三】
モンゴル族の独立(清国支配からの脱却)を目指して日本が募った義勇兵「満洲義軍(まんしゅうぎぐん)」に志願、日露戦争(光緒二十九1904年~同三十1905年)に参加した南モンゴル(現:中国内モンゴル自治区)の青年・バボージャブ(巴布扎布。1875~1916)。
得意の騎兵戦で満洲の荒野を縦横無尽に駆け巡り、ロシア軍の後方攪乱や糧道寸断など、大いに活躍した甲斐あって日本の勝利に貢献しました。
しかし日本は激戦によって既にボロボロ、まだ十分な兵力を残していたロシアに対して賠償金を要求する余力は残っていません。
かくして満足な恩賞も与えられず、満洲や南モンゴルの解放もお預け状態のまま満洲義軍は解散。バボージャブは家路を辿るのでした。
■凱旋した英雄バボージャブ、巡警局長に任命される
「……ただいま……」
故郷に錦を飾ったものの、恩賞も民族独立の足がかりも得られなかったバボージャブは、彰武県大冷営子(現:中国遼寧省阜新市)の我が家へ辿り着きました。
「お帰りなさい!……何よ、その顔は?」
浮かない顔で帰郷したバボージャブ(イメージ)。
二人の息子と出迎えた妻でしたが、バボージャブの浮かない顔に訝しがります。
「ご近所さんから聞きましたよ……戦争に勝ったのでしょう?あなたも仲間をまとめて活躍なさったのでしょう?チンギス=ハーンの末裔に相応しい英雄ぶりを示したのでしょう?」
「……知っての通りだ……」
駆け寄って来た息子たちの頭を撫でながら、バボージャブは項垂れます。
「恩賞がないのは仕方ないとしても、モンゴルも満洲も解放できなかった……」
戦争はただ敵を制するだけでなく、目的が達せられなければ意味が半減してしまいます。しかし、そんなバボージャブの背中を叩きながら妻は激賞します。
「モンゴル族の英雄が、いったい何を言っているの!そもそも民族独立の闘いに、他国の力はキッカケにこそなれ、それを恃みにするようじゃいけないわ。他国に独立させて貰ったって、その国の言いなりにされちゃうでしょ?」
「まぁ……」
「今回の武功は民族独立の第一歩なのよ。
「……そうだな」
「そうよ!……ちょうど先日、あなたに巡警局長(警察署長)の話が来ていたの。あなたのカリスマがあれば、この街のみんなも安心して暮らせるようになるし、次の機会に向けて地元の声望を集めておけば、決して損にはならないわ」
「……お前には、いつも励まされてばかりだよ」
「そりゃそうよ。どんな英雄だって、女から生まれない男はいないのだから……私はあなたの伴侶、いつだってあなたの味方。家庭や子供たちは私が守るから、あなたは思いっきり仕事していらっしゃい!」
「ありがとう」

「アイツが就任してから、商売あがったりだよ全く」取り締まられる罪人(イメージ)。
かくして大冷営子の巡警局長に就任したバボージャブは地域の治安維持に励み、人々の悩みを聞いては解決し、地道に信頼を積み重ねて行きました。
■全モンゴルが泣いた!チンギス=ハーンの直系子孫が大モンゴル国を樹立
その後数年は巡警局長の務めを果たしながら、三男・ジョンジョールジャブ(正珠爾扎布)と四男・サガラジャブ(薩嗄拉扎布)も授かり、公私ともに充実した日々を送っていたバボージャブでしたが、36歳となった宣統三1911年、清国を揺るがす大事件が起こります。
共和制国家の樹立(中国の民主化)を目論む孫文(そん ぶん)が、10月に武昌(ぶしょう。現:湖北省武漢市)で蜂起。後の世に言う辛亥革命(しんがいかくめい)の始まりです。
清国はその鎮圧に乗り出すも、燎原の炎と広がった革命の勢いに抗し得ず、宣統四1912年2月12日に皇帝・愛新覚羅溥儀(アイシンギョロ プーイー。あいしんかくら ふぎ)が退位。かくして清国は滅亡、およそ300年弱の歴史に幕を下ろしました。
「……あれだけの強大さを誇った清国が……滅ぶ時は、あっけないもんだな……」
物心ついてから、ずっと心の奥底で「打倒清国」を唱え続けてきたバボージャブに、ある種の喪失感が生まれたかも知れません。しかし、この歴史の大きな転機は、感傷に浸る時間など与えてはくれません。
辛亥革命に伴い、孫文らの呼びかけに応じて多くの勢力が独立する中、我らがモンゴル族も北モンゴルに独立国家を樹立していたのです。

大モンゴル国皇帝・ボグド=ハーン。Wikipediaより。
チンギス=ハーンの直系子孫に当たる活仏(チベット仏教の宗教指導者)ジェプツンダンパ・ホトクト8世(本名ガワンロサン・チューキニマ・テンジンワンチュク)が「大モンゴル国(1911年~1924年)」を建国。ボグド=ハーン(聖なる皇帝)に即位しました。
「ついに……ついに、大ハーンが復活した!モンゴル人のモンゴルが取り戻された!」
17世紀、かつて北元(14世紀に明王朝から中原を逐われた元が、北モンゴルに存続していた王朝)が女真族(後金⇒清国)に降伏してから270余年の歳月を耐え忍んだモンゴル民族が、ついに国家を取り戻した……その喜びは、筆舌に尽くし難いものでしょう。
「Хүрээ(ウレー。万歳)!」
全モンゴルが歓喜に泣いた……そう評しても過言ではない熱狂の中、バボージャブは巡警局長を辞職。家族と集められるだけの兵を集めて大モンゴル国の首都フレー(現:モンゴル国ウランバートル)を目指したのでした。
【続く】
※参考文献:
楊海英『チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史』文藝春秋、2014年11月
波多野勝『満蒙独立運動』PHP研究所、2001年2月
渡辺竜策『馬賊-日中戦争史の側面』中央公論新社、1964年4月
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