華やかな京都の舞妓さんや芸妓さんを見て、このような疑問を抱く人がいるようです。
「舞妓さんは芸妓さんになるための修行中の身なのに、どうして芸妓さんより華やかな姿をしているの?」
確かに衣装や髪形を見ても、舞妓さんは芸妓さんと比べてぐっと華やかな印象です。
それに対して舞妓さんの帯は「だらりの帯」で、真紅の地色にカラフルな糸で刺繍が施された半襟をかけ、足元は「おこぼ」と呼ばれる厚底の下駄を履いています。

また「舞妓時代は地毛で髪を結うが、芸妓になるとかつらになる」ということはよく知られるようになりましたが、その髪に付ける飾りも芸妓さんは櫛と玉かんざしなどでシックにまとめていますが、舞妓さんは2月なら梅の花、10月なら菊など、毎月違う華やかな花かんざしで華やかに飾っています。
同じように華やかな印象を与える遊女の場合、階級が高くなるほど外見も華やかになっていきますが、芸舞妓さんの場合はなぜそうではないのでしょうか?
■舞妓さんは元々は小学生くらいの年齢だった!?
その理由は「舞妓さん」が元々何歳くらいだったのかを考えると、理解できます。
今でこそ、舞妓さんになるために置屋へ入れるのは「義務教育が終わってから」ということになっていますが、昔はそうではありませんでした。
昭和初期にデビューしたある人気舞妓さんは、舞妓デビューの「お店出し」当時11歳だったとのこと。当然まだ小学生ですから、小学校の卒業式には若い舞妓さんの髪型である「割れしのぶ」に結ったまま出席したそうです。
現代ではあり得ない光景ですが、彼女だけが特別に早く舞妓デビューをしたというわけではありません。当時はそのくらいの子供、花町式に言えば「おぼこい」舞妓さんが珍しくはなかったのです。
「舞妓さんは子供」というのは常識だったので、舞妓さんの服装や髪形も「子供の可愛らしさを引き立てるもの」となりました。
それが現在の15~20歳前後の舞妓さんにそのまま受け継がれているため、私たち一般人から見ると「なぜ?」と思えるのでしょう。
■今でも残る舞妓さんの「子供らしさ」
現代でも、舞妓さんの服装や装飾品には、昔の舞妓さんが小さな子供だったことの名残が見られます。

例えば舞妓さんが「おこぼ」を履くのは、子供の舞妓さんは身長が低かったからです。また舞妓さんの着物には、肩の部分や袖の部分を端折って縫う「肩上げ」「袖上げ」が施されています。
これは子供の成長に合わせて着物を調整するための知恵で、今でも子供の七五三の着物に見られます。昔の舞妓さんには、成長に合わせて衣装を直すことも必要不可欠だったのですね。
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参考
- 『舞妓さんのお道具帖』相原恭子
- Let’s Go to Gion 「祇園のこと」
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan