大和と言えば奈良県の旧国名であり、倭建命(ヤマトタケルノミコト)や戦艦大和などのかっこいいイメージや、大和撫子(~なでしこ。
日本神話を代表する悲劇のヒーロー・倭建命。Wikipediaより。
神奈川県の大和市も何か奈良県に由来するエピソード、例えば倭建命が東国を遠征する際に立ち寄ったとか、そういう伝承でもあるのかと思って調べてみたら、どうもそういう事ではなかったようです。
いったい大和市というネーミングにはどういう理由があったのか、今回はそれを紹介したいと思います。
■4つの村が合体するも……対立の激化、分裂の危機
時は明治二十二1889年、4月1日付で町村制が施行されたことにより、神奈川県高座(こうざorたかくら)郡にあった村々も統合されていきました。

鶴見村の勢力図と、現代の大和市(後に南の渋谷村を編入)。
この辺りでは下鶴間(しもつるま)村・深見(ふかみ)村・上草柳(かみそうやぎ)村・下草柳(しもそうやぎ)村の四村が合併して鶴見(つるみ)村と改称します。
これは下「鶴」間と深「見」の文字を語呂よく採ったもので、上草柳と下草柳の文字は使われず、現地の人々からは不満の声が出たそうです。
恐らく、村同士の力関係によるものと考えられますが、だからと言って上草柳と下草柳でタッグを組んだだけでは、下鶴間&深見には太刀打ちできません。
一方で下鶴間も、本当は上鶴間と合併したかったけど、北の大野村(現:相模原市南部)に行ってしまったし、今からでもそっちに入れてもらおうかな……そんな不満もあったようです。
そもそも、元からあまり交流がなかったからこそ四つの村に分かれていた訳で、いくら国策だからと無理やり一緒にすれば、対立は避けられません。

「えぇか、向こうの連中と慣れ合うンじゃねぇぞ」「わぁってらぁな」対立する農民たち(イメージ)。
対立の詳細については記録が乏しいものの、旧村同士の交流断絶や誹謗中傷、境界や権利をめぐる暴力沙汰などは想像に難くありません(※20世紀の昭和期に入っても、こうした事例は各地で聞かれます)。
対立は激化の一途をたどり、ついには明治二十四1891年、分裂の危機を看過できなくなった神奈川県知事・内海忠勝(うつみ ただかつ)が仲裁に乗り出したのでした。
■「大きく和せよ」日本の精神を表したネーミング
内海知事は権利関係の公正化と、そもそも対立の原因となった村の名前について、鶴見村から四つの村が「大きく和する(大局的な視野に立って連携する)」事を願って明治二十四1891年9月25日に「大和」村と改称。
読みが「だいわorたいわ」でなく「やまと」なのは、知事が「和(仲良く)せよ」と言わねばならないシビアな事情を、美しい響きでマイルドに包み込もうとする意図が感じられます。

大和市の市章。武将の兜みたいでカッコいいデザイン。
その後、昭和十八1943年の町制施行に伴って大和町になり、昭和三十一1956年9月には南の渋谷村を編入。そして昭和三十四1959年の市制施行によって大和市となり、高座郡から離脱したのでした。
そして平成元1989年5月13日、日本全国の「大和(やまと、だいわ、たいわ)」12市町村が結集して「まほろば連邦」の建国を宣言しました。
ネーミングは神話『古事記』に登場する倭建命の辞世
「やまとは 国のまほろば(大意:大和は日本で最もよいところ)……」に由来し、古代日本の美称である「大和」に誇りを持つ人々の思いが込められています。
【まほろば連邦】加盟市町村の一覧ご覧の通り、当時全国各地で進められた「平成の大合併」によって加盟町村が次々と消滅したため、まほろば連邦は平成十六2004年4月18日に解散。その翌年にも次々と消滅、現在では1市町村ずつ(計3自治体)しか残っていません。
神奈川県大和市
宮城県大和町(たいわちょう)
新潟県大和町(やまとまち)⇒現:南魚沼市(平成十六2004年に合併)
茨城県大和村(やまとむら)⇒現:桜川市(平成十七2005年に合併)
山梨県大和村(やまとむら)⇒現:甲州市(平成十七2005年に合併)
岐阜県大和町(やまとちょう)⇒現:郡上市(平成十六2004年に合併)
島根県大和村(だいわむら)⇒現:三郷町(平成十六2004年に合併)
広島県大和町(だいわちょう)⇒現:三原市(平成十七2005年に合併)
山口県大和町(やまとちょう)⇒現:光市(平成十六2004年に合併)
福岡県大和町(やまとまち)⇒現:柳川市(平成十七2005年に合併)
佐賀県大和町(やまとちょう)⇒現:佐賀市(平成十七2005年に合併)
鹿児島県大和村(やまとそん)
※太字は現存自治体。
しかし、かつて「大和」の名をもって結ばれた絆が消え去った訳ではなく、今でも大和市は「盟友」であった宮城県の大和町と新潟県の南魚沼市(旧:大和町)、そして山梨県の甲州市(大和村)を姉妹都市として、交流を続けています。
人々の大きな和を願って名づけられた大和市。それは和を以て貴しとした日本の精神をいかんなく表した名前であり、末永く平和と発展を享受されるよう願っています。
※参考文献:
大和市『大和市史』大和市役所、2006年3月
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan