その坂本龍馬の少年時代から33歳で暗殺されるまでの生涯を描いたマンガが、歌手・俳優・タレントとして活躍する武田鉄矢さん原作の『お~い!竜馬』でした。
1992年にテレビアニメ化されてNHKで放送されていたので、30代後半くらいの皆さんの中には覚えている方も多いのではないでしょうか?
【参考】おーい!竜馬[新装版] 1 (ビッグコミックススペシャル)
このマンガの中で印象に残るシーンの1つが、当時の土佐藩に存在した「上士による郷士(下士)への差別」です。
郷士出身の龍馬も、同じ土佐藩出身の後藤象二郎と乾(後の板垣)退助ら上士に、子供の頃から「ニセ侍!」などと罵られ、いじめられていました。

後藤象二郎/画像出典:Wikipedia「後藤象二郎」
しかし、後藤象二郎は後に坂本龍馬の書いた『船中八策』を藩主・山内容堂に採用させたり、身分の低い龍馬に代わり幕府や御三家との交渉に当たったりと、龍馬とは協力関係を結んでいたことが知られています。
板垣退助も、龍馬が暗殺されたときに
「龍馬は細かいことにこだわらないおおらかな人だから、役人には向いていない。
もし龍馬が40歳まで生きていたなら、薩摩の五代(五代友厚、大阪の経済の基盤を作った)や土佐の岩崎(岩崎弥太郎、三菱財閥の初代総裁)のようになっていただろう」
という言葉を残しています。
作品中では、土佐藩の家老に就任し倒幕を目指す後藤が、龍馬を通して薩摩・長州藩と手を結ぶために、子供の頃から敵対していた彼と和解したというストーリーになっていましたが、そもそも龍馬は本当に彼らに子供の頃いじめられていたか、または何らかの面識があったのでしょうか?
■土佐の身分差別は本当!でも龍馬を2人がいじめたエピソードは創作
当時は土佐以外の藩にも「上士・郷士」という武士同士の間の身分制度は存在しました。
土佐藩では、その差別がより厳密に行われていました。
例えば、足袋や下駄、日傘などの使用は上士のみ可で、郷士には許されていませんでした。
それなら、上士である後藤や板垣は郷士である龍馬を本当に差別し、いじめていたとしても不思議はないだろう…と考えたいところですが、実はそのような記録は一切残っていないのです。
後藤象二郎が坂本龍馬の盟友として関わるようになったのは、1865(慶応元)年~1866(慶応2)年頃のこと。龍馬も後藤も、当時20代後半くらいでした。
さらに板垣退助に至っては、同じ土佐藩出身という共通点こそあったものの、生前に龍馬に会ったことは1度もありませんでした!

板垣退助像/画像出典:Photock
あまりにも厳しい身分差別が存在すると、お互いの接点がなくなり、日常的な「いじめ」が起こる余地すらないのかもしれません。
■なぜ「いじめっ子後藤・乾」と「いじめられっ子龍馬」という設定に?
では、なぜ作品中ではこのような設定になったのでしょうか?
これは「坂本龍馬の生涯」に大きく関わってくる重要人物が長編マンガの後半になって突然登場すると、ストーリーの流れとして唐突な印象を与えるため、伏線として「子供時代からいじめっ子・いじめられっ子という関係だった」という設定にしたことが考えられます。
確かにマンガのストーリーはできるだけ分かりやすい方が、歴史にあまり詳しくない読者もすんなりと入っていけますよね。
参考
- 坂本龍馬と「いろは丸事件」
- 3分で分かる坂本龍馬
- 江戸時代の土佐藩における身分制度~上士、下士の誕生~
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan