しかし、それは往々にして「成功した自分」 を実感orアピールするための手段に過ぎず、本当にそれが好きとは限りません。
そんな心情は天下人でも変わらなかったようで、今回は豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)が愛した故郷の味について紹介したいと思います。
■母ちゃんの煮物
今は昔、尾張国中村(現:愛知県名古屋市中村区)の貧しい百姓から身を起こし、天下統一を果たした秀吉は、自分を生み育ててくれた故郷に恩返しのつもりで、こんなお触れを出しました。
「今後、中村の者については年貢を永年免除する。その代わり牛蒡(ごぼう)と大根を献上するように」
牛蒡と大根(でゃぁこん)。年貢の代わりに、こんなんでいいのけ?
要するに「米の代わりに牛蒡と大根を納めよ」という事ですが、これによって中村の人々は経済的負担が大きく軽減され、年々富んでいきました。
「まったくありがたい事じゃ……しかし、このままでは何だか申し訳ないのう」
「ほうじゃのう……じゃあ来年は、牛蒡と大根の代わりにちょっといいモノでも献上するべぇ」
「きっとお殿様も喜んで下さるべぇ」
という訳で、村人みんなでお金を出し合い、刀や名馬などを買い揃えて献上したのですが、これが秀吉の逆鱗に触れてしまいます。
「わしはそなたらに『牛蒡と大根を献上せよ』と命じたのであって、別に『牛蒡と大根程度のものを差し出せばよい』と言った訳ではない。身分も弁えずに命令を勝手に解釈しおって、そんなに裕福なら、年貢の免除は取り消しじゃ!」
余計な気遣いをしたばっかりに、翌年からは中村の者もキッチリと年貢を取り立てられるようになってしまったそうです。

天下人にまで上り詰めた豊臣秀吉。普段は威厳たっぷりに振る舞っても、母ちゃんの煮物を前にすると、あどけない少年に戻ってしまう。
しかし、根菜類が好きだった秀吉はやっぱり故郷の味が忘れられず、年貢とは別に牛蒡と大根を求めていたそうで、きっと母ちゃん(大政所、なか)に煮物を作ってもらっては「うめぇ、うめぇ」と頬張っていたのでしょう。
■叔母さんの麦メシ
古来「空腹こそ最高の調味料」とはよく言ったもので、秀吉は晩年、家臣たちにこんな昔話を繰り返していたそうです。
「わしは天下四方のあらゆる美食珍味を楽しんだが、まだ若い時分、親の使いで叔母の家に行った折に喰わせてもろうた麦メシ以上に美味いものを喰うたことがない」
天下人が「これ以上に美味いものはない」と断言する麦メシとは、いったいどんなものなのでしょうか。
「……たいそう腹が減っておってな、暑い盛りじゃったから水をぶっかけて喰うたんじゃ。塩さえ振らなんだから、もちろん味なんてありゃしない……それでもわしは、あれより美味いものを喰うたことがない……」
喉が渇いた、腹が減った。フラフラになりながら、半ば朦朧とした意識の中で一心不乱にかっ込み、流し込んだ水と麦メシ……全身が潤っていくのが解る。生命が歓んでいるのが感じられる。
「あぁ、生きとって良かった……わしは確信したものじゃ……」

麦メシ。袴(粒の真ん中を通る茶色い線)の一本々々に、テンションが急上昇。水よりも山芋(とろろ)をぶっかけて、思いっきりかっ込みたい。
あまりの美味さに、泣いていたのかも知れません。涙の塩気が、絶妙な味わいを引き出したことでしょう。
「この味を忘れさえしなければ、この先どんな事があろうと、わしは必ず生き延びられる……そう思って遮二無二働き、こうして天下が獲れたのじゃから、叔母には足を向けて寝られんわい」
糟糠の妻(北政所、おね)が聞いたら嫉妬しそうな話ですが、心底腹が減った時に喰ったものは何より美味い。
※参考文献:
永山久夫『武将メシ』宝島社、2013年3月
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan