明治大帝の御真影。
♪散切頭(ざんぎりあたま)を叩いてみれば、文明開化の音がする……♪……歴史の授業でそう教わった筆者は「ハテ。文明開化の音とは、一体どんな音じゃろうか」と何度も頭を叩いてみたものの、中身が悪いためか、あまり文化的な音はしませんでした。
とまぁ、そんな調子で髪型も自由になっていったようですが、古来「髪は女の命」などと言うように、女性の場合はちょっと勝手が違い、男性ほど気軽に髪を切ることは出来なかったようです。
■明治時代、女性の断髪には届出が必要だった!
ニュースによれば、女性が髪を切る際に県へ提出したという「断髪届(だんぱつとどけ)」が、千葉県白井市の旧家から発見され、同市教育委員会では「女性に伝統的な美を守らせたいという、当時の価値観を示すとみられる貴重な資料(同会学芸員)」とコメント。
日付は明治九1876年10月25日。その年の7月、当家の嫁(長男の妻)が「長患いが治るように」願をかけて髪を切ったことを義父が届け出ており、捺印がないことから役所に提出した控えと見られます。
届け出をしないと罰則があったそうですが、事後報告でもよかったなら、役人に見つかって咎められた時だけ「これから届け出ようと思っていたんです」と言い逃れることができそうです。
それにしても、髪を切るのにいちいち役所に届け出て、正当な理由がなくてはならないとは、女性の散髪は随分と心理的なハードルが高かったことでしょう。
田舎だったら、すぐに「彼女、失恋したのかな」などなど、根も葉もない噂が広まったかも知れません。
■終わりに
それでも、女性の髷はメンテナンスが男性以上に大変(※)なため、届出くらいで切ることが出来るなら、と断髪する女性が増えていきました。

自慢の黒髪を、命のごとく大切にメンテナンス。
(※)髷を脂で固めて形をキープするため、一度洗うとなると長さもあるので半日がかりの大仕事に。夏でも洗えるのは月に一度がいいところで、悪臭が目に沁みたり、噎(む)せたりと悩んでいたそうです。
現代では自由にできることが、つい百数十年前までは届け出が要るほどのことだった……もしかしたら、現代では届け出が必要なことが、未来では当たり前になっているかも知れませんね。
※参考:
明治の女性、髪を切るのに「断髪届」 千葉の民家で発見
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan