トラウマ続出?背筋がゾワゾワくる大分県の怖い昔話「吉作落とし」を紹介【上】
今は昔、豊後国(現:大分県)のとある村に、吉作(きっさく)という若者が住んでおりました。
吉作は断崖絶壁に生える岩茸(いわたけ)を採って暮らしを立てていましたが、ある時、ふとした油断から命綱を手放し、岩棚に取り残されてしまいます。
自力で脱出する手立てを失った吉作は、助けを求めてひたすら叫び続けるのでした……。
■いくら呼んでも来ない助け。ついに吉作は……
「おーい……!助けてくれぇ……!」
吉作の叫びは山々に谺(こだま)しますが、遠くで声を聞いた村人たちは「何だか山の方から不気味な声が聞こえる。きっと化け物だろうから、近づかないようにしよう」と誤解してしまいます。
「おーい……!助けてくれぇ……!」
それから何日も何日も助けを求め続けた吉作でしたが、結局誰も太助には来てくれません。
飛び立った吉作は、美しい紅葉の谷間へと吸い込まれていった(イメージ)。
果たして飢えと寒さに吉作はついに錯乱。「きっと今は自由に空も飛べるはず」とばかり身を投げだし、美しく紅葉に染まった谷間へと吸い込まれていきました。
やがて、初雪が降るくらいになって「やっと山から不気味な声が聞こえなくなった」と人々が傾山に立ち入りはじめ、現場で発見された縄から「吉作(※)が岩棚に取り残され、やがて落ちた」ことを知ります。
(※村の中で岩茸採りをしている者を点呼して、吉作だけいなかったのでしょう)
そして後世の教訓とするため、その岩棚を「吉作落とし」と呼び伝えるのでした……はい、それっきり(おしまい)。
■残された教訓と吉作の孤独
……とまぁこんなお話しでしたが、特に高所恐怖症でない方でも、かなり背筋がゾワゾワ来たのではないでしょうか。この物語は、私たちにいくつもの教訓を与えてくれます。
一、単独で山に入らない。
(やむを得ない場合は、行き先を誰かに告げる)
一、命綱は必ず複数用意する。
(手に掴む縄と別に、長さに余裕をもった命綱を腰に括っておくなど)
(そもそも、掴んでいる縄が途中で切れるリスクもある)
一、日頃から近所づきあいを保つ
(いざ遭難した時、誰かがすぐ「吉作がいない」と気づきやすい)
一、救助が来るまでの間、体力を維持できる装備品を用意する。
(非常食や防寒対策など、たとえ日帰りの予定であっても油断大敵)……などなど。
しかし、熟練の山男であった吉作がこうしたことに気づかない筈はなく、あえて複数の命綱や非常食などについては、用意する余裕がなかった(稼いだ金はすぐに使い果たした、あるいは岩茸を買い叩かれ、リスクに比べて収入が低かった)のかも知れません。
また、岩茸採りという職業柄、穴場を教えて(知られて)しまったら死活問題にもなりかねないため、あえて周囲と距離をとっていた可能性も考えられます。もしそうなら、吉作の村では同業者の競合が激しく、人間関係もギスギスしていたことでしょう。

「ちぇっ、また負けちまった」「今月ぁもっと岩茸採らねぇとなぁ」博打に興じる吉作たち(イメージ)。
こうした仮説から吉作の暮らしぶりを想像すると、常に死の危険と隣り合わせで必死に採った岩茸は何らかの力関係によって安く買い叩かれ、わずかな収入は目先の楽しみ(酒や女、博打など)に使い果たし、穴場情報を守るために周囲の者と打ち解けることもなく、再び断崖絶壁にぶら下がって、黙々と岩茸をこそぎ続ける……そんな孤独な日々が目に浮かぶようです。
いざ何かあった時、人の手助けが何より有難いのと同時に、なかなかそれを求めにくい社会背景が感じられる物語として、人々に複雑な印象を残しています。
【完】
※参考文献:
大分県小学校教育研究会国語部会 編『大分の伝説』日本標準、1978年
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