子供のころ、こんな会話があったりなかったりしましたが、身内にいわゆる著名人がいると誇らしく思う一方で、プレッシャーを感じる方も少なくないようです。
ましてやその著名人が伝説的なカリスマだったり、絶対的な権力者だったりすると、どうしても比べられ、見劣りしてしまいがち。
「伯父さんはあんなに凄いのに、タロウ君と来たら……」
本人が一生懸命に努力して結果を上げても「どうせ七光りでしょ……」なんて色眼鏡で見られてしまっては、せっかくのやる気も損なわれてしまうでしょう。
今回は戦国時代の伝説的カリスマ・織田信長(のぶなが)を伯父に持った織田頼長(おだ よりなが)のエピソードを紹介したいと思います。
■天下一の傾奇者に、俺はなる!
織田頼長が誕生したのは信長が「本能寺の変」に斃れた天正十1582年。通称は孫十郎(まごじゅうろう)と言いました。
正伝永源院蔵「織田長益肖像」元和七1622年
父は信長の弟・織田長益(ながます。有楽斎)、母は正室お清の方(雲仙院殿)。彼女は若き日の信長(吉法師)を諫めて自害した平手政秀(ひらて まさひで)の娘です。
兄の源二郎(げんじろう。後の織田長孝)は側室の子なので家督の継承権は嫡男である孫十郎にあり、このまま行けば将来は父の跡を継いで大名となり、それなりに順調な未来が見えていました。
しかし、そんな「敷かれたレールの上を走る人生」なんてつまらない。ましてや周囲の者たちから「伯父の七光り」などと陰口を叩かれては癪に障るというもの。
「よし……天下一の傾奇者(かぶきもの)に、俺はなる!」
傾奇者とは奇抜な衣装や反秩序的な振る舞い(奇にかぶくこと)を好む若者たちを指す言葉で、後に歌舞伎(かぶき)の語源ともなりました。
今も昔も、斜に構えた若者たちが極端な自己表現に情熱を迸らせるのは変わらないようで、現代ならヤンキーやギャル、中二病などがそれに該当するのでしょうか。
話を戻して、「天下一の傾奇者になる!」と決めた孫十郎は若き日の信長さながらの傾きっぷりを見せ、『当代記(とうだいき)』では「かぶき手の第一」と評されました。

天下一の傾奇者を目指して、蛮勇を振るう孫十郎(イメージ)。
しかし、周囲の者たちは口先でこそ褒めそやしながら、内心「形ばかり信長公の真似をして、このうつけ者が……」などと軽蔑していたのかも知れません。
また、嫡男の放蕩ぶりを快く思わなかった母は亡父よろしくガミガミと叱りつけ、そのシーンは、まるで数十年前の吉法師と政秀を彷彿とさせたことでしょう。
■関ヶ原合戦ではお留守番、手柄を立て損ねる
さて、天下一の傾奇者を目指して好き放題していた孫十郎ですが、いつまでもそんな事ばかりしてはいられません。
15歳(慶長元1596年)ごろに元服したと見られる孫十郎は、信長の覇業を受け継いだ豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)に仕え、改名に際してその子・豊臣秀頼(ひでより)の名前から「頼」の一文字を拝領。
父・長益から受け継いだ「長」の一文字と組み合わせて織田頼長(よりなが)と称しました。この名前には織田家が秀頼に忠誠を誓い、末永く豊臣家(政権)を支えるよう願いが込められていたようです。
しかし、ほどなく秀吉が亡くなると豊臣政権の屋台骨が揺らぎ始め、その隙に乗じて天下を窺う徳川家康(とくがわ いえやす)と、その野望を阻止せんと対抗する石田三成(いしだ みつなり)の政争が激化。

関ヶ原の合戦。もしここに孫十郎がいたら、『無双』が実現したのだろうか(イメージ)。
これが後に「天下分け目」の関ヶ原合戦(慶長五1600年)につながるのですが、孫十郎はこの歴史の大舞台に出陣していないようです。
「何で留守番なんだよ!俺に『無双』させろよ!」
そんな不満が聞こえて来そうですが、父としては大事な嫡男をなるべく危険な戦場に出させたくなかったのでしょう。
ちなみに、庶兄の源二郎は父と共に出陣。徳川家康率いる東軍に与して猛将・戸田武蔵守重政(とだ むさしのかみ しげまさ)父子を討ち取る大手柄を上げています。
※関ヶ原で活躍した庶兄・源二郎のエピソードはこちら
家督が継げなきゃ自力で家を興す!関ヶ原で活躍した信長の甥・織田長孝の武勇伝【上】
家督が継げなきゃ自力で家を興す!関ヶ原で活躍した信長の甥・織田長孝の武勇伝【下】
関ヶ原の戦功によって父は3万石(味舌藩)、源二郎は父と別に1万石(野村藩)の所領を与えられ、それぞれ大名となりました。
「ちぇっ、何だよ……俺だって出陣さえしていれば……」
活躍できたかも知れないチャンスを逃してしまった孫十郎は、源二郎への対抗心(逆恨み)から反・徳川の意思を固めていくのでした。
【続く】
※参考文献:
桑田忠親『太閤家臣団』新人物往来社、1971年1月
戦国人名辞典編集委員会 編『戦国人名辞典』吉川弘文館、2005年12月
家臣人名事典編纂委員会 編『三百藩家臣人名事典』新人物往来社、1987年11月
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