蒸し暑い日本の夏を少しでも涼しく過ごそうと、昔から楽しまれてきた怪談ばなし。

「いちま~い、にま~い……」

武家屋敷に奉公していた下女・お菊が主人の大切なお皿を割ってしまい、お手打ちを恐れるあまり井戸に身を投じて以来、夜な夜な皿を数えては嘆き悲しむ声が聞こえるという「番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)」。


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身投げした井戸から這い出るお菊の怨霊。数える皿が蛇の身体になっている表現が面白い。葛飾北斎「百物語 さらやしき」

しかし、これを聞いた筆者は「10枚セットのお皿を1枚割ってしまえば、何度数えたところで9枚に決まっているだろうに」と疑問に思っていました。

その謎を解くカギは、この物語のモデルとして実在するお菊のエピソードにありました。そこで今回は、怪談「番町皿屋敷」にまつわる史実を紹介したいと思います。

■完全に濡れ衣だったお菊

江戸時代中期の元文六1741年、江戸で旗本の青山主膳(あおやま しゅぜん)に奉公していたお菊は、主膳の家来から告白されました。しかしお菊は、他に好きな人でもいたのか、あるいは家来の人柄によほど問題があったのか、ともあれお断りします。

振られてしまった家来は逆恨みして、主膳の大切にしていた10枚セットのお皿を1枚隠して、お菊が紛失したかのように偽装したところ、主膳はまんまと引っかかってお菊を手討ちにしてしまいました。

「忌々しい小娘だ!さっさと送り返せ!」

お菊の亡骸は長持(ながもち。衣装箱)に詰められ、彼女の実家である相模国平塚宿(現:神奈川県平塚市)の宿場役人・眞壁源右衛門(まかべ げんゑもん)に送りつけられます。

いちまい、にまい…怪談「番町皿屋敷」悲劇のヒロイン・お菊の怨霊は、なぜ皿を数え続けたのか?


贈られてきた長持の中には……(イメージ)。

「あぁ、何と酷い仕打ちを……」

当時、刑死した(無礼討ちを含む)者には墓を作らない風習があったので、源右衛門も空気を読んでお菊を埋葬した場所に栴檀(せんだん)の木を植えて墓標の代わりにしたそうです。


そして歳月が流れて昭和二十七1952年、平塚市の区画整理事業にともなってお菊の亡骸も移そうと調査したところ、伝承の通り栴檀の根元から亡骸が発掘。その場所は現在「お菊塚」という石碑が設置されています。

■終わりに

つまり、お菊は自分で皿を割ってしまったのではなく、逆恨みした家来に隠されてしまったからこそ「どこかにあるはず」と数を確認し、必死であと1枚を探していたのですね。

その後、お菊を手討ちにした主膳はともかく、彼女を陥れた家来が何かしらの報いを受けた記録はないようで、「このままではスッキリしない」という人々の思いが、怪談「番町皿屋敷」を作り上げていったのかも知れません。

……物語では、主膳が皿を失った腹いせとして、お菊の右手中指を切り落とした祟りにより、後に生まれた子供には右手中指がなかったそうで、それを知った幕府は主膳を不吉≒不心得として改易(所領を没収)に処したのです。

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悲しみに暮れるお菊の怨霊。月岡芳年「新形三十六怪撰 皿やしき於菊乃霊」

それでも屋敷内にお菊の声がやむことはなく、事態を重く見た幕府は高僧に鎮魂を依頼。読経中「はちまーい……くまーい……」と聞こえてきたお菊の声に「十」と応じたところ、怨霊が成仏。それっきり、声はしなくなりましたとさ。

めでたし、めでたし。

※参考文献:
伊藤篤『日本の皿屋敷伝説』海鳥社、2002年5月

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