その中でも、平成二十四2012年に放映された「平清盛(たいらの きよもり)」では、その作中において登場人物に朝廷(≒皇室)を「王家」と呼ばせしめ、心ある視聴者の批判を呼んだことは記憶に新しいところです。
さて、この人たちはなぜ「王家」という表現を批判しているのでしょうか。朝廷を「王家」と表現するのは、歴史学的に正しいと言えるのでしょうか。
■素直に「朝廷」でよかったのに……
まず、朝廷≒皇室を「王家」と呼ぶ表現は、なぜ不適切なのでしょうか。
皇室の「皇」は言うまでもなく天皇陛下を、「室」はその一族を意味します。天皇陛下は英語でEmperor(エンペラー)と訳されるように皇帝と同格であり、天皇の称号が国際的に使われ始めたのは、遣隋使(けんずいし)の時代。
東天皇敬白西皇帝
【読み】東の天皇、敬(つつし)みて西の皇帝へ白(もう)す。
【意訳】日本の天皇が、敬意をもって隋(中国大陸の古代王朝)の皇帝へお便りいたします。
『日本書紀』より。
絶妙のタイミングで、冊封体制からの脱却=日本の独立を実現した推古天皇(左)と聖徳太子(右)。
それまで「世界の中心」である中国大陸の「皇帝」と、その周辺を治める「王」という国家同士の主従関係(これを冊封体制-さくほうたいせい、と言います)から脱却し、日本の「天皇」はあくまでも「皇帝」と対等であることを宣言しました。
つまり「皇>王」という歴史的な前提があり、皇室をあえて「王」家と呼ぶのは、皇室に対する不敬(例えば、部長に対して、わざと課長と呼んで見下すような態度)に当たるから、多くの日本人が違和感を覚えたのです。
しかし、平安時代は現代と異なり、天皇陛下をはじめとする皇族をファミリー(家庭)とする概念は存在していないことから、「王家」は言うまでもなく「天皇家」も一般的ではなく、従来どおり「朝廷」で事足ります。
※ただし、王家という言葉がまるでなかった訳ではなく、鎌倉時代末期ごろから貴族の日記などにしばしば書かれていますが、それでも一般的とは言い難いものです。
事実、時代考証の本郷和人氏もそれは承知でいながら、真っ向から番組づくりを批判できなかったためか「天皇家と呼んでも王家と呼んでも、間違いではない」と擁護していますが、どちらも当時一般的でない以上、ちょっと苦しいところです。
そこにあえて「王家」表現をねじ込んだのは「学界の中で市民権を得ている」からという製作スタッフの判断だそうですが、広く一般に向けた作品にある種の「内輪ネタ」を盛り込むのは、いかがなものでしょうか。
結局、磯智明チーフプロデューサーも「学界でも『王家』でまとまっているわけではなく、『王家』表現の使用はドラマの中にとどめる(要約)」として、歴史の新常識(?)としてゴリ押しされることなく議論は収束に向かいました。
■新儀を巧み出すよりも……

「王家の犬」にはならなかったが、平清盛(右)が天下に号令するには、朝廷(≒後白河法皇・左)の権威が不可欠だった。
こうした「歴史の新常識(?)」がどうして度々生み出されるのかと言えば、一つに学界の事情が考えられます。
限られた過去について取り扱う歴史学は、どうしても研究が行き詰まりがちであり、研究機関における予算要求や出世には実績(≒新発見)がモノを言うため、学者の中には新奇をてらう手合いも出て来るわけです。
本郷氏によれば「皇室を貶める意図はない」旨を説明しながら、この「王家」表現は波紋を呼び、国会で当時のNHK会長が答弁を求められるまでの騒ぎに発展しました。
こういう問題が起きると、制作サイドはあくまでも歴史のリアリティを追求する立場を強調しますが、登場人物の言葉遣いや価値観などがいかにも現代々々していながら、一部だけ「王家」や「立て膝座り」をねじ込むアンバランスさが、国民の違和感を招いてしまうのではないでしょうか。
フィクションとは言え、広く一般国民の歴史認識に大きな影響を及ぼすメディアだからこそ、些末な新儀を巧み出すことよりも、日本の歴史をテーマとして先人たちへの敬意や感謝、そして未来へ挑戦する勇気と希望を与える番組づくりが求められます。
※参考:
本郷和人『謎とき平清盛』文春新書、2011年11月
皇室を「王家」 適切なの? NHK大河「平清盛」に疑問の声
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan