現代なら法が裁いてくれますが、戦国時代は相手の身分によって、人を殺されても罪に問えないことが間々ありました。
ならば命に代えても仇を討つまで……たとえ殺されようと、泣き寝入りなど出来ない悔しさは、今も昔も変わりません。
そこで今回は、殺された恋人の仇をとった戦国時代の烈女・勝子(かつこ)のエピソードを紹介したいと思います。
■幸せな未来を描くも束の間……。
勝子は尾張国(現:愛知県西部)の戦国大名・織田信長(おだ のぶなが)の弟である織田信勝(のぶかつ。信行)の侍女として仕えていました。
京都出身とのことですが、生年や出自については不詳で、恐らく勝子という名前についても「信勝に仕えていた女子(例:北条時政の娘で北条政子)」程度の意味で、本名は不詳だったものと考えられます。
でも、勝の字がつけられるくらいだから相応にお気に入りだったのでしょう。そこで信勝は、同じくお気に入りの家臣・津田八弥(つだ はちや)と縁組をさせることにしました。
勝子と八弥の未来予想図(イメージ)。
この八弥、元は下民の出身だったそうですが、その才覚をもって信勝に取り立てられ、織田の一族である津田の名字を与えられたようです。
「二人とも、末永く仲睦まじく、織田家の柱石となってくれよ」
「「ははぁ」」
聞くところによれば、家中随一の美男美女だったそうで、ますます織田家の将来は安泰……となればよかったのですが、こういうトントン拍子の時には、たいてい邪魔が入るものです。
「八弥のヤツめ……勘十郎(信勝)様のご寵愛をいいことに、我ら譜代をないがしろにしおって……っ!」
妬んでいたのは佐久間七郎左衛門信辰(さくま しちろうざゑもん のぶとき)。織田家の筆頭家老・佐久間右衛門尉信盛(うゑもんのじょう のぶもり)の弟で、家中に権勢を誇っていました。
ポッと出の新参者にお株を奪われて面白くないのは、いつの世も同じこと……まして才覚もあってこれから美女を娶るとあれば、妬んでしまうのも解らなくはありません。

八弥の最期(イメージ)。
……が、内心で思うだけなら仕方ないとしても、七郎左衛門は八弥を暗殺してしまったのです。
■逃げた七郎左衛門を追って……。
「……八弥様!」
最愛の許婚を喪った勝子は悲嘆にくれましたが、ここで泣き寝入りしてしまっては、武家の妻として面目が立ちません。
「下手人は七郎左衛門殿に違いありませぬっ!」
周囲の証言などからそう突き止めた勝子は、主君・信勝を通じて佐久間家に抗議の使者を発しましたが、信盛はとりあってくれません。
「あいにくじゃが、七郎左衛門は先刻より行方知れずでのぅ……」
聞けば七郎左衛門は逃げ出してしまったそうで、「(一応)手を尽くして捜索している」とは言うものの、一族ぐるみで匿っているのは明らかです。
「佐久間(信盛)様は当てになりませぬ……どうか私に、お暇を下さいませ!」

勝子の身を案ずる信勝(イメージ)。
七郎左衛門を探すため、暇乞いを申し出る勝子でしたが、信勝はか弱い女性が厳しい旅路に耐えられるかを案じ、もし見つかったところで、むざむざ返り討ちに遭っては忍びないと、なかなか許可を出してくれません。
「やたら滅法に歩き回っても、いたずらに時を費やすばかり……今は八弥の喪に服し、せめて七郎左衛門の情報が入ってから行動を起こしても遅くはあるまい」
「はい……」
信勝が心から自分を案じてくれているのを振り切ることも出来ず、鬱々とした日々を送っていた勝子の元へ、七郎左衛門の消息情報が入ったのでした。
「聞けば彼奴めは、美濃国(現:岐阜県南部)の斎藤家におるとの事じゃ」
こうなったらもう信勝も引き留めることはできず、勝子は名前を変え、美濃国の大名・斎藤竜興(さいとう たつおき)夫人の侍女として潜伏することに成功します。
「……奥方様。
(おのれ、にっくき七郎左衛門……その首洗って待っておれ……!)

今度の流鏑馬には、あの七郎左衛門も出場するそうな(イメージ)。
虎視眈々と仇討ちの機会を窺っていると、やがて斎藤家中で流鏑馬(やぶさめ)大会が開催されることになりました。七郎左衛門も出場するそうです。
(……好機到来!)
勝子は用意していた匕首(あいくち。短刀)を懐中に忍ばせ、七郎左衛門の首を狙うのでした……。
【後編へ続く】
※参考文献:
保田安政『婦女必読 修身事蹟 全』目黒書店、1891年11月
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