江戸時代に生きる武士は、たしなみとして頬紅や白粉などを懐に入れて持ち歩き、顔色の悪い時などはパタパタと叩いて化粧を施していました。

江戸時代に武士の心得を説いた『葉隠』には、武士のたしなみとしての化粧のことが記されています。


藩に忠義を尽くすため風采をあげる術として、武士の化粧はごく当たり前のことだったのです。

そして、戦国時代にも武士の化粧はごく当たり前のことでした。戦国時代の場合は、また江戸時代とは少し違った理由で化粧をしていたようです。

【前編】はこちらからどうぞ。

化粧はできる武士のたしなみ!武士の心得書「葉隠」や戦国時代に見る男性のメイク【前編】

■戦国の武士も化粧を施していた

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 「神君大坂御勝利 首実検之図」

江戸時代のみならず、戦国時代の武士にとっても化粧は必需品でした。頬紅・手鏡・香を持ち歩くのは当たり前だったようです。

もともとは、平安時代公家の男性が施していた当時の化粧の一つ「お歯黒」。平安末期には、男性貴族、平氏などの武士、大規模寺院の稚児も行うようになり、室町時代にも武家社会に広まりました。

魅力的?ちょっと怖い?昔の女性が「お歯黒」をつけていた理由。古くは男性も行っていた

戦国大名の今川義元や北条氏政などは、白塗りにお歯黒の化粧という公家の風習を取り入れていたそうです。

化粧はできる武士のたしなみ!武士の心得書「葉隠」や戦国時代に見る男性のメイク【後編】


 「今川義元 中村芝翫」

そして、戦国時代の武士が化粧を施すのは戦場でもおなじみでした。

身分の高い武士は、風采を上げるためというよりは、戦場で勇猛果敢に見えるように白粉や紅を使ったとか。
また、香をたきしめることもあったそうです。

さらに戦では打ち取った的の首級を判断する「首実検」が行われていました。

戦国時代、討ち取った敵の首はどうなる?首級が本物か確認する儀式「首実検」とは

化粧をしていないものは身分の低い者とみなされてしまうために、たとえ死しても卑しき身分の者と思われたくないと、名誉と品位を保つために化粧は日常的なことだったそうです。

■現代の化粧効果

男性が忠義のため身だしなみとして化粧をしていた葉隠の時代から、300年ほどのときが流れました。

そして、近年は日本でもメンズメイク市場は盛り上がりを見せています。

海外の有名ブランドからリーズナブルな国内ブランドまで、男性用のファンデーション下地などは、ここ数年前から数多くリリースされていました。

そしてコロナ禍によるリモートワークで、男性はカメラ映りをよくするため顔色がよく見え風采が上がるメイクを求めるようになったそう。

そのおかげで「交渉や商談がうまくいった」「会議がいつもよりもスムーズに進んだ」という声も少なくありません。

カメラでは、素顔のままだと暗くキツく見えてしまいますが、ちょっとメイクを施すと、明るく清潔感のある印象になります。

化粧はできる武士のたしなみ!武士の心得書「葉隠」や戦国時代に見る男性のメイク【後編】


 ファンデーション(写真:photo-ac)

「メイク」というとまだ抵抗のある男性でも、最近は「メンズ用のBBクリーム」がいろいろ販売されています。

BBクリームは、化粧下地・ファンデーション・コンシーラーが1本にまとまったもの。さっと顔に薄く伸ばすだけで顔色を整えてくれます。


ファンデーションよりも薄付きで自然に肌色を整えてくれるのです。これからのできるビジネスマンには、身だしなみとしての「化粧」はごく普通のことになるかもしれませんね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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