その後、アメリカ・オランダ・イギリス・フランス・ロシアと安政の五か国条約を結び、日本は長きに亘る鎖国を解いて、海外へと扉を開くこととなった。
外国と交易をするための港の一つに、江戸からさほど離れていない横浜が選ばれた。遠い海の向こうから異国人がやってきたことが庶民の耳にも聞き及ぶと、人々の関心は自分達とは異国人の違う顔立ちや髪と目の色、装い、持ち物などのその全てに注がれた。
横浜を訪れた外国人や居留地を画題にした浮世絵を「横浜絵」と呼ぶが、中には当時の日本人がまだ誰も目にしたことのない外国の風景を描いた作品もあり、人々の好奇心を大いに掻き立てた。
■少しの参考資料と想像を膨らませて描いた外国の風景
『亜墨利加賑之図』二代目歌川広重(浮世絵検索)

『亜米利加国』歌川芳虎(浮世絵検索)
「横浜絵」は二代目歌川広重や歌川貞秀、歌川芳員、歌川芳虎、落合芳幾、月岡芳年、歌川芳艶など多くの絵師によって描かれたが、もちろん誰一人として実際に外国へ行ってその風景を目にしたわけではない。
舶来した外国新聞の挿絵を参考にしながら描いており、二代目歌川広重による『亜墨利加賑之図』もイギリス新聞の挿絵を引用したとされている。
横浜が開港されたものの、外国人は居留地の外での活動が制限されていたため日本人との接触はほぼ無かったと考えられる。そのため、その姿や装いは横浜よりも先に開港していた長崎で出版された「長崎絵」を参考に描かれた。
絵師達は少しの参考資料と自らの想像を膨らませながら作品を描いたのである。
■着物を着たワシントンのアメリカ人?中国風のロンドン橋?

『亜墨利加州内華盛頓府之景銅板之写生』歌川芳員(国会図書館デジタルコレクション)
見たこともない異国の風景を想像で描いたからこそ、現代人の私達がくすっと笑ってしまうような作品もある。
例えば、歌川芳員がワシントンを描いた『亜墨利加州内華盛頓府之景銅板之写生』では左に描かれたロバに寄りかかる男性が着ているのは、どう見ても着物である。

『英吉利國ロン頓図』歌川芳虎
また、歌川芳虎が描いたロンドン橋はどこか中国風で、思わず二度見してしまうようなデザインだが、左上にはセントポール寺院が描かれるなど、ロンドンの街並みを華やかに描き出している。
少しの資料と絵師の想像で描かれた遠い異国の風景は、開国間もない当時の日本の人々の好奇心をかき立て満たし、また居留地の風景や風俗を描いた作品は現代では貴重な歴史史料として大きな役割を果たしている。
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