武士道といふは、死ぬ事と見付けたり……。とかく武士は死の覚悟を求められたものですが、それは自分が死ぬばかりでなく、誰かを死なしめることも意味します。
※『葉隠』第一巻より。
切腹の場に臨む介錯人(黒い人物)。Wikipediaより。
戦国乱世も遠い昔となった江戸時代にあってなお、武士たちは時として腹を切り、それを介錯(かいしゃく)するなど、命をやりとりしたものでした。
介錯とは本来、手助けの意味ですが、ここでは切腹した者が長く苦しまぬよう、首を斬ってトドメをさしてやることですが、ただ首を斬ると言っても、ただ無造作に刀を振り下ろせば事足りる訳ではなく、少しコツがあったようです。
今回は武士道のバイブルと言われる『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』より、切腹する者の首を斬る介錯のコツを紹介したいと思います。
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■野田喜左衛門の言うことには……
一六 介錯仕様野田喜左衛門咄の事【意訳】介錯のコツについて、野田喜左衛門(のだ きざゑもん)が話したこと。
死場にて正気なく這ひ廻り候者を、介錯の時多分仕損じあるものに候。
左様の時は先づ相控へ、何事にてなりとも力み候様に仕り、すこしすつくとなり候處をのがさず切り候へば、仕済し候と承り候由なり。
※『葉隠』第七巻より。
「いざ切腹の場に臨んで、命が惜しくなって這いずり、逃げ回る者を無理に斬ろうとすると、多分に失敗してしまうものである。
※文末が伝聞調なのは、作者の山本常朝(やまもと じょうちょう)が、野田喜左衛門から聞いた話を、田代陣基(たしろ つらもと)に書きとらせているためです。
【野田喜左衛門】諱は能明(よしあき)。佐賀藩士・山口庄左衛門(やまぐち しょうざゑもん)の子で、野田善右衛門清常(のだ ぜんゑもんきよつね)の養子になる。元禄8年(1695年)没。

武士としての技量と心構えが試される介錯の役目。
いくら日ごろ覚悟しているつもりでも、いざ切腹となるとその覚悟が揺らぎ、つい不覚をとってしまうことは誰しもありうることですが、介錯する側はそうもいきません。
介錯は一太刀で仕留めることを基本とし、これを仕損じることは大きな恥とされました。一太刀で仕留めなければ次の瞬間に反撃される(自分が殺される)可能性もあり、常在戦場(じょうざいせんじょう。常に戦場に在り)の心構えが欠けているとされたためです。
自分が死ぬのであれば動揺するのも百歩譲って仕方ありませんが、相手の動揺につられて手元が狂い、介錯し損ねるようでは武士の名折れ。
相手が動転しているのであれば、自分は一歩引いて冷静さを保ち、相手が騒ぎ疲れて我に返った瞬間を狙って斬る。
現代のビジネスシーンでも応用が利きそうな喜左衛門の心がけ、是非とも見習いたいものですね。
※参考文献:
古川哲史ら校訂『葉隠 中』岩波文庫、2011年6月
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