今日は親子の愛情について描かれた浮世絵をご紹介します。
■賢母のおしえ
雪中に筍を掘る女 見立孟宗 画:鈴木春信 メトロポリタン美術館所蔵
雪の中で筍堀り?しかも裸足で。筍の旬と言えば春を迎える4月です。
一体どういうことでしょうか?
孟宗(もうそう)とは 「孟宗(もうそう)」とは中国三国時代の呉の初代皇帝・孫権に仕えていた「李粛(りしゅく)」に学問を学び、呉の孫権・孫亮・孫休・孫皓と孫家四代に仕えた人物の名前です。
孟宗は幼い頃に父親を亡くして母親の手一つで育てられました。母は勉学に励む孟宗のために大きな布団を作ります。『何故そんな大きな布団を作ったのですか』と聞かれると、
『私の息子には家に人を招くような徳はありませんが、学問を志す人には貧しい人が多いと聞きます。だからこの大きな布団に同じような境遇の者が自然と集まり、交友が深められたらと思って作ったのです』
と答えました。
「李粛」は孟宗が夜が更けていくのも忘れ書を読み耽る姿に、“国のために大きな仕事を担える器がある”と評しました。
その後、孟宗は呉の武将である「朱拠(しゅきょ)」の軍吏となり、陣営に母を迎えて暮らすことになりました。しかしそこは雨が降ると雨漏りがするのです。
孟宗は自分がいつまでも鳴かず飛ばずのせいで、そのうえ雨漏りするような家に母を住まわせることになるとはと、孟宗は泣いて母に謝まりました。
母は『今はただ励み勉める時です。
その後、朱拠は孟宗の才覚を評価し、塩池という地方の“司馬”という上級官職に任命しました。
孟宗はその地で自ら網を編んで魚を獲り、鮓という魚の保存食を作って母に届けます。しかし母は『司馬というのは人民を治め、導くのが仕事です。こんなことをしている暇はないはずですよ』と孟宗を叱りました。
■孝行息子

雪中に筍を掘る女 見立孟宗 画:鈴木春信 メトロポリタン美術館所蔵
孟宗を支え続けてきた母が病気になり床に臥せっていました。あるときポツリと『筍が食べたい』とつぶやきました。
孟宗は急いで竹林に出向きましたが、時は冬です。筍などあるはずもありません。しかし孟宗は天に祈りながら涙を流し雪をかき分け掘っていると、突然あたり一面に筍が生えてきたのです。
上掲の『雪中に筍を掘る女 見立孟宗』は江戸の浮世絵師・鈴木春信がこの話を「孟宗」を若い女性に見立てて描いたものです。
他にも「孟宗」を描いた浮世絵があります。

孟宗(『二十四孝童子鑑』)画:歌川国芳 ウィキペディアより
上掲の絵は浮世絵師・歌川国芳が描いた“孟宗”です。冷たい風が吹く雪の中を、鍬を持って筍を探しに行く姿を描いています。
孟宗の親孝行の話は『二十四孝』という中国において後世の模範として“孝行が特に優れた人物24人の話”を記した書籍の中の一人となりました。
そしてこの『二十四孝』は日本にも伝来し、仏閣等に彫刻として刻まれたり人物図などに描かれ、寺子屋の教材にも使われるようになったのです。

孟宗竹の筍
そしてこの逸話から孟宗竹(もうそうちく)と名付けられた竹が生まれました。この孟宗竹の筍は現在でも春には広く食され、人々に春の訪れを告げています。
西暦500年にも満たない時代にあった孟宗竹の筍を、今も変わらず食べているとは不思議で貴重なことのように思います。
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