いわゆる幕末において、日本の維新を目指して全国各地を東奔西走した草莽(そうもう)の志士たちの活躍は、今でも高い人気を誇っています。
日本の夜明け
「ところで志士は『志を持ったサムライ』として、この草莽って何?」
そんな質問を受けたので、今回は草莽の意味と、志士の語源など紹介したいと思います。
■名誉も利益も求めず、志に生命を賭けた者たち
草莽の草とは文字通りそこら辺に生えている草花の意味で、よく「雑草魂」などと言われる通り、エリートではない身分の低い者(下級武士を加えることもありますが、主に在野の民間人)を指します。
一方の莽とは草花の生い茂った草むらや草原、つまり大勢が集まっている様子を表わしているので、草莽とはつまり「名もない(転じて名誉や利益を求めない)人々の集まり」という意味になります。
日本の未来を守るために大志を抱きながら、低い身分ゆえ相手にされなかった者たちが、力を合わせて国難に立ち向かっていった様子は、まさしく「草莽の志士」と呼ぶにふさわしいでしょう。
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。
※西郷隆盛『西郷南洲遺訓』より

カネや名誉よりも大切なもののため、彼らは決起、行動した
カネや名誉が欲しいんじゃない。我らが求め訴えるは、日本国に維新を起こし、西洋列強から平和と独立を守ることなり……まさに論語の謳った「身を殺して、もって仁をなす(衛霊公 第十五)」志士の語源「志士仁人(※)」の姿です。
(※)ししじんじん。士(本来は武士ではなく、士君子=有徳者)として学問を天下公益に役立てることを志し、仁愛の心に満ちあふれた人物。
私利私欲を超えてみんなのため、日本国の未来に命を賭けた草莽の志士たちですが、その多くは利権としがらみにまみれた新政府の藩閥政治に淘汰されてしまいました。
しかし敗北によって彼らの志が損なわれることはなく、今なお心ある人々にリスペクトされ、次世代へ受け継がれていくことでしょう。
※参考文献:
宮崎市定『論語 現代語訳』岩波現代文庫、2000年5月
山田済斎 編『西郷南洲遺訓』岩波文庫、1939年2月
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