情熱の歌人として知られる与謝野晶子はご存じの方も多いと思いますが、そんな彼女と、アール・ヌーヴォーを代表する画家アルフォンス・ミュシャとのあいだにつながりがあることはあまり知られていないかもしれません。

この記事では、そんな2人の意外なつながりをご紹介します!

■そもそも、与謝野晶子についておさらい!

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与謝野晶子

そもそも与謝野晶子についてよく知らない、という方のために、ざっくり彼女についておさらいしておきましょう!

与謝野晶子は、1878年(明治11年)に大阪、堺の和菓子商の三女として生まれました。
情熱の歌人として「みだれ髪」などたくさんの歌集を生み出しました。同じく歌人の与謝野鉄幹と結婚しました。

■アルフォンソ・ミュシャとは?

情熱の歌人・与謝野晶子とアール・ヌーヴォーの画家・ミュシャの意外なつながり


アルフォンス・ミュシャ

ミュシャは、アール・ヌーヴォー(19世紀~20世紀初期にかけて流行)を代表する画家で、1890年に生まれました。現在のチェコに生まれて、有名な女優であるサラ・ベルナールのポスターを作ったことで一躍その名を轟かせました。

情熱の歌人・与謝野晶子とアール・ヌーヴォーの画家・ミュシャの意外なつながり


ジスモンダ

また、彼の作品には日本美術、そのなかでも特に浮世絵の影響を受けていることでも知られています。

■与謝野晶子とミュシャの意外なつながりとは?

与謝野晶子とミュシャは同じ時期にそれぞれの分野で活躍しましたが、直接の接点はありませんでした。しかし、東京新詩社から1900年(明治33年)に創刊された雑誌「明星」を通じて共演しました。

19世紀末からヨーロッパで興ったアール・ヌーヴォー様式の作品は日本にも展覧会などで展示されており(第五回白馬会の展覧会で“トスカ”が展示された)、日本の画家のあいだでも受容されていました。

「明星」の表紙や挿絵にミュシャのエッセンスを取り入れた絵が使われました。東京新詩社は与謝野鉄幹が主宰しており、「明星」は晶子も歌人として活躍した雑誌でもあります。

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ちなみに、晶子は、1908年(明治41年)に鉄幹の後を追ってパリを訪れており、いくつかパリへの愛を語った歌も残しています。また、晶子と鉄幹のあいだには6男6女の12人の子どもがおり(そのうち1人は生後2日で亡くなっています)、四男はアウギュスト(のちに“いく”と改名)、五女にエレンヌという名前をつけています。


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いかがでしたか?

文学と絵画という二つのまったく違うフィールドで活躍した与謝野晶子とミュシャ。しかし、雑誌「明星」を通じて、意外なつながりを持っていたことがわかりました。

この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです!

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