名門の貴族から戦国武将に!異色すぎる人生を歩んだ「斎藤大納言正義」の生涯 【後編】

名門の貴族から戦国武将に!異色すぎる人生を歩んだ「斎藤大納言正義」の生涯 【後編】
拡大する(全9枚)
名門貴族・近衛家出身でありながら、戦国武将となった斎藤大納言正義。美濃統一を目指す斎藤道三の後援を経て、武将としての頭角を現していきます。

後編では、そんな斎藤大納言正義の活躍と悲劇的な最期を紹介しましょう。

前編の記事はこちら

名門の貴族から戦国武将に!異色すぎる人生を歩んだ「斎藤大納言正義」の生涯 【前編】

■16歳で初陣を飾り、要の城の城将に

名門の貴族から戦国武将に!異色すぎる人生を歩んだ「斎藤大納言...の画像はこちら >>


 浄音寺に伝わる斎藤大納言正義の肖像画。20代前半の姿と考えられている。(写真:Wikipedia)

斎藤正義は、16歳で元服するとすぐに初陣を飾りました。斎藤道三に仕えていた日根野弘就(ひねのひろなり)の軍勢に従い、大桑城に拠って道三とその主である土岐頼芸(ときよりあき)に敵対していた土岐頼純との合戦にのぞんだのです。

この時、正義は300人の手勢を率いていたといわれます。300人の兵を動員するためには1万石近い所領がないとできません。この時点で、正義がそれほどの所領を持っていたとは考えづらく、おそらくは道三が正義の初陣のために兵を与えたのではないでしょうか。

その後、道三が東濃(美濃東部)への橋頭保として高山(古城山)山頂に「掻き上げの城」を築くと、2000人の兵を率いる城将として城の守備を任されたとされます。この城が、後に正義が城主となる鳥峰城(兼山城・金山城)の原型かどうかは定かではありませんが、初陣の後に、7倍以上の兵を与えられたわけです。

この記事の画像

「名門の貴族から戦国武将に!異色すぎる人生を歩んだ「斎藤大納言正義」の生涯 【後編】」の画像1 「名門の貴族から戦国武将に!異色すぎる人生を歩んだ「斎藤大納言正義」の生涯 【後編】」の画像2 「名門の貴族から戦国武将に!異色すぎる人生を歩んだ「斎藤大納言正義」の生涯 【後編】」の画像3 「名門の貴族から戦国武将に!異色すぎる人生を歩んだ「斎藤大納言正義」の生涯 【後編】」の画像4
「名門の貴族から戦国武将に!異色すぎる人生を歩んだ「斎藤大納言正義」の生涯 【後編】」の画像5 「名門の貴族から戦国武将に!異色すぎる人生を歩んだ「斎藤大納言正義」の生涯 【後編】」の画像6 「名門の貴族から戦国武将に!異色すぎる人生を歩んだ「斎藤大納言正義」の生涯 【後編】」の画像7 「名門の貴族から戦国武将に!異色すぎる人生を歩んだ「斎藤大納言正義」の生涯 【後編】」の画像8
「名門の貴族から戦国武将に!異色すぎる人生を歩んだ「斎藤大納言正義」の生涯 【後編】」の画像9
編集部おすすめ

当時の記事を読む

Japaaanの記事をもっと見る

トピックス

今日の主要ニュース 国内の主要ニュース 海外の主要ニュース 芸能の主要ニュース スポーツの主要ニュース トレンドの主要ニュース おもしろの主要ニュース コラムの主要ニュース 特集・インタビューの主要ニュース

ピックアップ

もっと読む

ライフスタイルニュースランキング

ライフスタイルランキングをもっと見る
お買いものリンク