時は江戸幕末、甲斐国(現:山梨県)を跳梁跋扈した甲州博徒の一人として名を馳せた竹居安五郎(たけい やすごろう。文化8・1811年生~文久2・1862年没)。


数々のライバルと渡り合って大暴れし、一度は伊豆新島(現:東京都新島村)へ島流しにされるも、不屈の精神でチャンスを窺い、黒船来航(嘉永6・1853年)の混乱に乗じて2年越しの華麗なカムバックを果たします。

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跳梁跋扈する甲州博徒(イメージ)

しかし、その不死身ぶりに脅威を感じたのか、代官所はもちろんのこと、同業者たちからも寄ってたかって妨害を受けた結果、とうとう捕縛され、獄死してしまったのでした。

今回はそんな安五郎が渡世人として心がけていたことなどを紹介。斬った張ったの世界で命のやりとりをしていた彼は、一体どんなことを心がけていたのでしょうか。

■一、鼾をかく者は失格!

皆さんは、寝ている時に鼾(いびき)をかきますか?ちなみに筆者はかきますが、それだと安五郎一家には入れてもらえなかったそうです(まぁ、入りたくもありませんが……)。

どれほど優秀であっても、鼾をかく者を仲間に入れない理由は、その音によって賭場に踏み込んで来た役人の忍び足が聞こえなくなってしまい、また逃亡中に聞きつけられてしまうからだとか。

素っ裸でも足袋だけは…江戸幕末の甲州博徒・竹居安五郎が説いた渡世人の心得を紹介


隙だらけでは、生きていけない

確かに追われる身であれば藪の中でも縁の下ででも眠ることがあり、高鼾をかいているようでは、すぐに発見されてしまうでしょう。

鼾の予防にはうつ伏せや横向き、あるいは身体を起こして(座る、うずくまる状態で)寝るなどするのが効果的ですが、ぐっすり熟睡などなかなか出来ない、過酷な生活が偲ばれますね。

■一、宵越しの銭は持つな!

よく江戸っ子は「宵越しの銭を持たない」なんて言いますが、安五郎一家でもそれがルールとされていたようです。

安五郎は毎朝子分の懐を確認し、鐚一文でも銭を持っていたらその横っ面を張り飛ばしたと言います。

その理由は「懐が温かくなれば、男の魂は鈍(なまく)らになる」というもので、なまじ財産が出来ると、それを惜しんで命を捨てるのを躊躇ってしまうからです。

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銭は男の魂を腐らせる

カタギであればそれが真っ当な生き方ですが、渡世人としてそれは失格。
カネも命も惜しまない、そんな生き方・死に方を美学としたのでした。

また実生活の面でも、銭を貯め込んでしまうと懐が重くて動きが鈍くなってしまったり、ジャラジャラと音がして所在がバレてしまったり、また悪さを企む元手にしたりなど、とかく小人物にカネを持たせるとロクな事にならないのを、肌で知っていたのでしょう。

■一、風呂から出たらすぐ足袋を履け!

一日の疲れを癒やすお風呂……まさに至福のひとときですよね。

「あぁ、いい湯だった」

湯上りは心身ともにリラックスして、なるべくゆったりした服装で過ごしたいものですが、安五郎一家では「すぐに足袋を履け」と指導されます。

足袋は足首を鞐(こはぜ。小鉤)で留め、固定してしまうので、なるべくなら履きたくないものですが……その理由は

「素っ裸でも斬り合いは出来るが、素足で斬り合いは難しい」

というもの。確かに、いつもしっかりした床があるとは限りませんし、足袋を履いているといないでは、足元の踏ん張りが断然違います。

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褌一丁で戦う男たち

そして斬り合いの精度や威力は足元の安定感が大きく左右するものですから、カタギならばいざ知らず、斬った張ったを生業とする渡世人ならば、たとえ素っ裸であっても、足袋だけはキチンと履いておきたいものですね。

■終わりに

鼾をかいて敵に見つかるな、銭を貯めて命を惜しむな、たとえ裸でも足元だけは固めておけ……。

まさに常在戦場(じょうざいせんじょう。常に戦場に在り)、厳しい渡世を生き抜いてきた安五郎ならではの心得と言えます。

別に命のやりとりをすることもない現代の私たちですが、無用の隙を見せぬこと、中途半端な未練は残さぬこと、そして常にチャンスを逃さぬ用意をしておくことなど、その精神は大いに応用できるのではないでしょうか。


※参考文献:

  • 子母澤寛『遊侠奇談』ちくま文庫、2012年1月
  • 髙橋敏『博徒の幕末維新』ちくま新書、2004年2月

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