「殿中!浅野殿、殿中にござるぞ……っ!」

江戸時代、殿中(でんちゅう。ここでは主君の城内)での抜刀は謀叛にも等しい重罪であり、その罰は浅野内匠頭(あさの たくみのかみ。
浅野長矩)の如く切腹が申し付けられました。

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殿中での刃傷沙汰は万死に値する

主君の側近くで刃傷沙汰に及ぶなど論外ですが、時には情状酌量によって無罪放免とされたこともあったようです。

今回は武士道のバイブルとして知られる『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』より、とある奉公人のエピソードを紹介したいと思います。

■「徳久殿の鰌膾」心ない挑発に……

今は昔、佐賀藩・鍋島家中に徳久(とくひさ)某と言う少し間抜けな変わり者がおり、これがある時間抜けなことに、お客さんに鰌(どじょう)の膾(なます)を出してしまったそうです。

「あの、これは……?」

「膾にござる」

「それは見て判るが……川魚を生で食うたら中毒(あた)りますぞ?」

ナメられたら斬り殺せ!武士道バイブル『葉隠』が伝える殿中での抜刀事件、その判決は?


泥鰌に限らず、淡水魚は寄生虫がいるので生食は禁物

川魚には寄生虫がいるから、火を通さねば食えぬ事も知らんのか……あきれた客人は帰って人に話したようで、人々は「徳久殿の鰌膾」と笑い者にしたのでした。

(自ら調理して提供したのか、あるいは妻や下人の失態によるものかは分かりませんが、間抜けな変わり者との前提があるため、恐らく本人が調理したのでしょう。この事から、徳久某が独身の下級武士と推測できます)

そんなある日、この徳久某が佐賀城へ出仕した際、先日の件をからかう者がいました。

「よぅ、鰌殿。腹は下しておらぬか?」

「……うるさい」

「胃薬はいらぬか?なぁ、なぁ……」

あまりのしつこさに腹を立てた徳久某は一刀の下にその者を斬り捨て、当然のごとくこれが問題となります。

「殿中にて刃傷沙汰に及ぶなど不届き千万。徳久殿には切腹を申し付けるべきにござろう」

そうだそうだ……会議が決しそうになったころ合いで、藩主の鍋島直茂(なべしま なおしげ)が言いました。


ナメられたら斬り殺せ!武士道バイブル『葉隠』が伝える殿中での抜刀事件、その判決は?


鍋島報效会所蔵・鍋島直茂肖像

「人からなぶり者にされて黙っている者は腰抜けぞ。たとえ殿中であろうがどこであろうが、ナメられたら斬り殺すのが武士の心得。そんな事も知らずに人を挑発するのは不覚悟であり、某については斬られ損、徳久については咎めなしとせよ」

合戦の場においても言葉戦い(ことばだたかい)などと言うように、そもそも相手に対する挑発は戦闘行為すなわち攻撃であり、する以上は相手からの反撃も覚悟しておかねばなりません。

にもかかわらず「よもや殿中で斬りかかっては来るまい」などと高をくくり、相手の失点を笑い、なぶり者にするような卑怯の輩は斬り殺されて当然、むしろいなくなってくれた方が家中の為である……それが武士の心得でした。

このお裁きによって徳久某は無罪放免、斬り殺された某についてはそのまま打ち捨てられたのでした。

めでたしめでたし。

■終わりに

二九 徳久殿殿中にて刃傷の事 徳久何がし、人に替りたる生まれつきにて、ちとぬけ風に相見え候。或時、客人招請候て鰌なますを仕られ候。その頃、諸人、「徳久殿の鰌なます」と申して笑ひ申し候。出仕の節、何がし右の事を申し出し、なぶり申し候を、抜打に打ち捨てられ候。この事御僉議になり、「殿中にて粗忽の仕方に候間、切腹仰せ付けらるべき」旨申し上げられ候。直茂公聞し召され、「人よりなぶられてだまりて居るものはすくたれなり。
殿中とて場をのがす筈なく候。人をなぶるものはたはけ者なり。切られ損。」と仰せ出され候由。

※『葉隠』第七巻より

戦国乱世も遠く過ぎ去ろうとしていた江戸時代初期、武士たちは武人であるよりも能吏であることを求められ、とかく賢しらな者たちが上手く立ち回り、不器用な者たちは淘汰されていきました。

ナメられたら斬り殺せ!武士道バイブル『葉隠』が伝える殿中での抜刀事件、その判決は?


甲冑に着替え、武士の心得を示す直茂(脱いだ衣冠は奥に)。鍋島報效会所蔵

そんな若者世代が増えていく中、かつて死線を潜り抜けて来た藩主・鍋島直茂をはじめとする歴戦の老勇者らは常在戦場の精神を忘れず、事ごとに伝えてきたのでしょう。

個人間の紛争解決に武力(暴力)を用いることは許されませんが、互いが相手を尊重し、和を保つ武士道の精神は、現代の私たちも見習いたいものですね。

※参考文献:

  • 古川哲史ら校訂『葉隠 中』岩波文庫、1941年4月

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