古今東西、とかく女性はその美しさで男性を惑わし、こと仏道修行においてその妨げとなるため、忌避されてきました。

しかし女性であっても仏道への帰依を願い、男性に劣らず高い志を持った者も少なくなかったようです。


今回はそんな一人、室町時代の尼僧・慧春尼(えしゅんに)を紹介。なかなか激しい人だったようですが、果たして……。

■世俗に嫌気が差した絶世の美女

慧春尼は生年不詳、相模国糟谷(現:神奈川県伊勢原市)で生まれました。俗姓は藤原氏、兄に最乗寺(神奈川県南足柄市。曹洞宗)を開いた了庵慧明(りょうあん えみょう)がいます。

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出家前の慧春尼(イメージ)

絶世の美女として誉れ高く、周囲からちやほやされたか妬まれたか、いずれにしてもそんな世俗のもろもろに嫌気が差してしまい、30歳を過ぎたころ、兄に得度(とくど。出家の儀式)を求めました。

しかし兄はこれに反対。

「夫れ出家は大丈夫の事なり、皃女輩は立ち難くして流れ易し、容易に女人を度して法門を汚辱するもの多し」

※『曹洞宗人名辞典』より

【意訳】出家とは大の男がするもの。子供や女たちは志が固まらず安きに流れるため、出家させたはいいものの、戒律を破って寺の恥となることが多いものだ。

また当人にその気はなくても、美貌に惑わされた者たちが修行に専念できなくなってしまうため、出家させていいことなど何一つありません。

悪いことは言わないから、お前ほどの美貌があればいくらでもいい男が見つかるから、早く嫁いで安楽に暮らしなさい……そんな優しさで説得したところ、彼女は一度引き下がります。


「……やったか!?」

と思ったら、大抵やれていないフラグというもの。彼女は帰宅するや否や、鉄火箸を真っ赤に焼いて、それを顔面に何度も押し当てました。

「お前、その顔は……!」

「私の覚悟を示しました。この顔であれば、言い寄る物好きもおりますまい」

ズタズタに焼き爛れた妹の顔を見て観念した慧明は彼女を得度させ、法名を慧春尼としました。もしかしたら、俗名に春の字が使われていた(例:春子など)のかも知れません。

■天才とナントカは紙一重……度肝を抜かれる奇行の数々

さて、めでたく?出家を果たした慧春尼は厳しい修行を乗り越えて印可(いんか。お墨付き)を下され、最乗寺の山麓に摂取庵・正寿庵・慈眼庵を開き、人々の教化に功績を上げます。

しかし天才とナントカは紙一重と言う通り、彼女は相当な奇行で知られていました。

例えばある時、鎌倉の円覚寺へ使いに訪れた際、一人の僧侶が彼女を驚かそうと前に立ちはだかり「老僧が物三尺(意:私の男性器は三尺≒約90センチの長さだ)」とそれを見せつけました。完全にセクハラですね。

しかし慧春尼はあわてず騒がず、それどころか自分の袈裟の裾をまくり上げて自分の女性器を見せつけ「尼が物は底なし(私の女性器は底なし≒そんなものに怯む私ではない)」とやり返します。

世俗に嫌気が差した美女!室町時代、どんなセクハラも倍返しで撃退した尼僧・慧春尼の生き方


「我が物は底なし」裾をまくり上げんとする慧春尼(イメージ)

常軌を逸した反応にその僧侶は逃げ出し、また円覚寺の堂頭(住職)も禅問答でやり込められたということです。


またある時。顔を焼いたとは言ってもやはり美女は美女、最乗寺での修行中、同門の修行僧から関係を迫られました。

もちろんお互い修行中なのでそんなものは断るのですが、なかなか引き下がってくれません。

「尼若し我が願を諾せば、湯火と雖も辞せず、況んや其余をや」
※『曹洞宗人名辞典』より

【意訳】尼=あなたがもし私を受け入れてくれるなら、どんな困難でも乗り越えましょう。

ほう、その言葉に偽りはあるまいな……という訳で後日、了庵の僧堂に一同が集合した際、慧春尼は群衆の真ん中に全裸で登場し、件の僧侶を呼びつけます。

「汝と約あり速に来りて我に就き、汝が欲を肆にすべし」
※『曹洞宗人名辞典』より

【意訳】あなたと約束があります。今すぐここへ来て私のことをあなたが望むままにしなさい。

肆(ほしいまま)……と言えば、ここでは他ならぬ男女の交わりですが、そんなことをすればたちまち破門どころか、住職の妹に手を出したとなれば、殺されてしまいかねません。

「それでも私を求めるなら、どうぞ好きにするがいい」

慧春尼のメッセージに恐れをなしたその僧は、たちまち脱走してしまったということです。

これらの奇行は、女性を性的欲望の対象にすることへの反発とも見られ、慧春尼は日本におけるフェミニストの先駆けとも言えるでしょうか。

■エピローグ・燃え盛る炎の中で……

さて、そんな慧春尼は最期も激しいもので、応永15年(1408年)5月25日、最乗寺の山門前に柴棚を組み、その中へ入って自ら火をつけました。

要するにセルフ火炙りですが、これは単なる焼身自殺ではなく火定(かじょう。
火定入滅)と言って、自らを火に投じることで自分自身の煩悩を丸ごと焼き尽くす儀式で、いわば修行のフィナーレとも言えるでしょう。

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別にすべての修行僧がやる(やらねばならない)ものではなく、生きて人々を救済する道もあるのですが、禅を突き詰める慧春尼らしい最期と言えます。

「おーい、熱くないかー?」

周囲が慌てふためく中、慧明は(既に慧春尼が覚悟を固めているなら、あえてそれを邪魔すまいと)のんきに尋ねたところ、

「冷熱は生道人の知るところにあらず」
※『曹洞宗人名辞典』より

【意訳】炎が冷たいか熱いかなんて、人間である私が知っていることではありません。

炎が熱いかどうかは炎に聞いて下さい。私は知りません……って、アンタがその炎に焼かれてどう感じているんだ……と常識的には聞いているのでしょうが、そんな外的要因に一切心を動かされない悟りの境地に至ったのでしょう。

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大雄山最乗寺。Wikipediaより(撮影:Σ64氏)

この答えを聞いて慧明は大いに満足し、焼け落ちる妹の最期を見届けたのでした。死後、慧春尼の遺骨は彼女が開いた摂取庵に納められ、最乗寺境内(慧春尼堂)に祀られたのでした。

※参考文献:

  • 瀬野精一郎ら編『日本古代中世人名辞典』吉川弘文館、2006年11月
  • 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年11月
  • 国書刊行会『曹洞宗人名辞典』国書刊行会、1977年12月

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