■仏像は敵を呪うための道具!?

仏像と言えば基本的に「慈悲」「救い」の象徴というイメージですが、実は古代日本ではもっと他の意味合いも込められていました。

もともと仏教では、図式的に捉えると「煩悩」と「悟り」が対立しています。
煩悩から解き放たれれば悟りを開いて仏になれるというわけですが、こういう図式で捉えると、煩悩というのは言うなれば仏教にとっては「敵」であるわけです。

となると、仏像というアイテムも、「敵」を倒すための道具と見られるようになります。ゆえに仏像は単なる飾り物ではなく、敵に対して威力を発揮する魔法のアイテムです。こうして古代日本では、仏像は「呪具」としてのイメージも持たされていたのです。

呪いと仏像、という組み合わせは奇妙に感じられるかも知れません。しかし「呪い」の反対は「祝い」です。仏様は人々に祝福をもたらすことができるのだから、だったら同様に呪いをもたらすくらいのパワーも持っているだろう、と考えられていたのです。

「呪い」のアイテムとしてよく使われたのは、薬師如来と観音菩薩の像です。

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下呂温泉の湯掛薬師

薬師如来は病気平癒の利益がメインと思われがちですが、実際にはそればかりではありません。その姿を拝むことで、食べ物で飢えないとか貧しい人に衣服をもたらすなどのご利益をもたらしてくれるとされていました。

■民衆の欲望から国家の安泰へ

観音菩薩も同様です。いわゆる「観音様」ですが、観音様とひと口に言ってもさまざまな種類があり、その中でも千手観音や十一面観音などは、もたらす御利益の数を象徴しています。


薬師如来、観音菩薩…古代日本では仏像は敵を呪い倒すための”呪具”だった!?


千手観音の仏像

これは見方によっては、なかなか満たされない人間の欲望の数を示していると捉えることもできますね。

この世に生きている人間の欲望を満たしてくれることを、「現世利益」と言います。

このように、仏様が現世利益をもたらしてくれるという考え方は、個人のみならず国家にも利用されました。中世の政権は仏教を「国家鎮護」に活用したのです。

特に有名なのは奈良の朝廷で、東大寺の大仏などはその最たるものです。

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東大寺・奈良の大仏

当時の政府は薬師如来の功徳でもって国を治めようとしました。そのため、奈良には今でも薬師如来の仏像がたくさん残されています。

この時、仏像には皇族の病気の平癒や魔除け、民衆への功徳のおすそ分けなどの意味が付与されていたのでしょう。個人に対して御利益がもたらされるという考え方が、国の安泰へと拡大解釈されていったのです。

そして聖武天皇などは、全国に国分寺の建立を指示しました。余談ですが、国分寺の本尊や釈迦如来であるとされていますが、なぜか現代に伝わるのは薬師如来の像が多いです。

■武器を手に敵を倒す仏像

福島や岩手には、国宝にも指定されている立派な薬師如来があります。
これは平安時代の初期に坂上田村麻呂が蝦夷を平定した際に設置されたもので、東北地方にまで大和朝廷の勢力が及んだことを示すモニュメントとしての意味合いがありました。

いわば、占領地に旗を立てたようなものです。このような使い方からも、仏像には「敵を黙らせる」効果が期待されていたことが分かります。あるいはもう少し良心的に解釈すれば、敵である蝦夷を、薬師如来の御利益によって「解放」してあげようということだったのかも知れません。

では観音菩薩はどうかというと、例えば東大寺法華堂(三日月堂)の不空羂索観音は、本当に観音菩薩なのか? と不思議になるほど威厳がある見た目で、厳しい表情や切れ長の目が特徴的です。

薬師如来、観音菩薩…古代日本では仏像は敵を呪い倒すための”呪具”だった!?


東大寺法華堂の不空羂索観音立像。国宝にも指定されている(wikipediaより)

で、実はこの像は、740(天平12)年に藤原広嗣が起こした反乱を制圧するために作られたとされているのです。

こうした事例からも、仏像には「呪物」としての一面があったことが分かるでしょう。もともと、仏教では悟りを邪魔する存在を魔物と見なしており、これを倒すことを「調伏(ちょうぶく)」「降伏(ごうぶく)」などと呼んでいました。だから、仏像の中には不空羂索観音や明王たちのように武器を持っているものもあるのです。

おそらく大和朝廷は、蝦夷などの反乱分子を、仏教が敵とみなしている魔物に重ね合わせていたのでしょう。

参考資料
・宮澤やすみ『仏像の光と闇』水王舎・2019年

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