トンデモか否か!?意外と根強く残っている「武将・上杉謙信は女性」説を整理してみる【前編】
【後編】では、そのほかの論拠について説明します。
■③「生涯不犯」の謎(1)
謙信女性説を補強する根拠としてよく挙げられるのが、彼が生涯独身で「生涯不犯」を貫いたとされていることです。それは女性だったからではないか、ということですね。
上杉謙信(Wikipediaより)
ちなみに一つ注意したいのは、謙信の「生涯不犯」は女性との性交渉を拒むという意味ではありません。これは「婚姻」を拒むものです。
実際、当時の戦国武将としては珍しく、彼には正妻も側室もいませんでした。小姓くらいはいたようですが。
戦国時代は、貴族が自分の娘を力のある武将の家などに嫁がせることも多くありました。また、この時代に「実子がいない」ことは大きなリスクで、彼の婚姻を頑なに拒む姿勢はちょっと異常です。
この「生涯不犯」の理由は、現在の研究者の間でもよく分かっていません。ただ、いくつかの説があります。
まず「同性愛者説」です。しかし、謙信が同性愛者だったのか、またそうだとすれば女性との婚姻を拒むほどの強い性向だったのか、はっきりした証拠はないので何とも言えません。
■③「生涯不犯」の謎(2)
もうひとつ「性的不能説」もあります。が、これも同性愛者説と同じく、それを証明する資料も否定する資料もないので何とも言えません。
個人的には「性的不能説」は仮説としては納得がいくものの、逆に、そういえば戦国武将はみんな正妻や側室を得てたくさんの子をなしていますが、中に性的不能だった人はいなかったのだろうか? と不思議になります。
今でこそ、男性のEDは治療可能なものとして認知されるようになりました。しかし、現代社会などよりも計り知れないストレスにさらされていたであろう戦国武将が、誰も性的不能ではなかったというのも奇妙な気がします。
話を戻すと、謙信本人が熱心な仏教信徒だったことから、仏教の教えを固く守ったのではないかという「宗教戒律説」もあります。実際、江戸時代の軍記物『越後軍記』には軍神への帰依を理由に色欲を拒んだと記されているそうです。

謙信が強く信仰していたとされる「毘沙門天」
ただ、『越後軍記』は後世の二次史料なので信憑性は高くない上に、謙信は「不邪淫」以外の戒律はほとんど破っています。
また「名代家督説」もあります。もともと、謙信は正統の後継者ではなく、あくまでも前の当主である晴景の子供が成長するまでの「つなぎ」でした。しかしその謙信が実子を持てば、必ず後にいざこざが起こります。それを防ぐために婚姻を拒んだという説です。
これも証拠はないのですが、最も真っ当な仮説に思えますね。もちろん、真っ当だから正解とも限らないのですが。
少し長くなりましたが、こうして最後に「謙信=女性説」が来ます。彼が女性だったなら「生涯不犯」の理由も説明がつく、というわけです。
■④恋愛ものが好きだった謙信、瞽女(ゴゼ)歌の存在
「女性説」の傍証の一つとして、謙信が『源氏物語』や『伊勢物語』などの恋愛ものを好んでいたことも挙げられます。また、彼は歌会で恋歌を披露したこともあり、さらにその筆跡もとても女性的なものだったとか。
ただ、これをもって謙信が女性だったとするのもやや無理がありますね。恋愛ものを好み、恋歌を詠み、筆跡が女性的である男性がいてもおかしくありません。これはあくまでも傍証と言えます。

史跡 川中島古戦場(信玄vs謙信)
最後に、おまけのような論拠ですが、当時、謙信のことを「男もおよばぬ大力無双」と歌う瞽女(ゴゼ)がいたそうです。
この歌詞は『越後瞽女屋敷・世襲山本ごい名』という本に載っていると八切氏は述べているようですが、この本の存在は確認されていません。
以上が、「上杉謙信=女性」説の論拠です。
ところで、では謙信が女性だったとしたら、なぜ史料には男性として描かれているのか? という問題ですが、これは江戸時代の武家諸法度に理由があると言います。
武家諸法度では、女性の城主が認められていませんでした。よって、外様大名の上杉家の当主がかつて女性だったということで難癖をつけられないよう、謙信が女性だったことを示す証拠を隠ぺいしたのだというのです。

上杉謙信の生誕地であり、南北朝時代に築かれた春日山城跡
ただこの説も、素人目にも「記録を隠蔽しても、謙信が女性だったことは何らかの形で一般に知られているのでは?」という気がしますね。武家諸法度が定められる前には、謙信が女性だったことを隠す必要はなかったことになりますから……。
もちろんこういった疑問点などは、既に本職の学者・研究者が論じ尽くしているので、ここでは深く突っ込みません。
「上杉謙信=女性」説は、発想としてはとても面白いからか、今も俗説として根強く知れ渡っています。しかし、その論拠を改めて見ていくと、説得力に欠ける部分も多いですね。
とはいえ、疑問点や矛盾点があるからその説には価値がない、とは必ずしも言えないのが歴史の面白いところです。
歴史は「史実と矛盾していても面白ければいい」ところがあり、面白いストーリーであるほどかえって一般には受け入れられやすいものです。
実は、歴史を巡る説の価値基準には「真実かそうでないか」とは別に「面白いかそうでないか」というという物差しも存在しています。
「上杉謙信=女性」説は、後者の物差しで測るべきものなのかも知れません。
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