平家を追い出したはいいものの、都で孤立し、逆賊とされてしまった木曽義仲(演:青木崇高)。
それを討つべく源義経(演:菅田将暉)を派遣した源頼朝(演:大泉洋)でしたが、本拠地の鎌倉では御家人たちが叛旗をひるがえしつつありました。
さて、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」4月17日(日)放送の第15回。サブタイトルは「足固めの儀式」、毎度ながら意味深ですね。
今回はどんな展開が待っているのでしょうか。
■広元が仕組んだ「足固めの儀式」
実はこれ、大江広元(演:栗原英雄)の差し金で、その真意はまだ小四郎も知れません。
かねて広常を警戒していた大江広元(イメージ)
ちなみに、御家人たちの謀叛は大河ドラマの創作なので、ここで御家人たちを死なせる訳には行かないはずです。
よって謀叛は失敗に終わるか、あるいは未然に防がれるでしょう。そうでないと、話が散らばり過ぎて史実への収拾がつかなくなってしまいます。
(いくらフィクションとは言え、あまりに荒唐無稽では歴史ファンは離れてしまうでしょう)
とは言え「鎌倉が二つに割れた(※第14回ナレーションより)」ほどの謀叛について、未遂であれ誰一人お咎めなしとは流石に考えにくい。ましてあの頼朝です。
となると、誰かを人柱に立てる必要があります。それにふさわしいのは頼朝の武士団で最大の勢力を誇る広常を措いていないでしょう。
あえて謀叛に加担させ、それを理由に広常を粛清する……それが広元の魂胆と考えられます。
頼朝を「武衛、ブエイ」と呼んで、誰よりも惚れ込んでいた広常。大江広元は、そこへつけ入った(イメージ)
誰よりも武衛に忠誠を誓っている広常であれば、万が一にも本心から謀叛に加担する可能性は限りなく低いはずです。
そして謀叛の中心人物となった広常が矛を収めれば、自然と他の御家人たちも戦意を喪失。謀叛は未然に防がれるか、仮に起こっても被害はごく限定的なものに留まります。
諸刃の剣である広常を始末できる上、御家人たちからも叛逆の士気を殺げる……まさに一石二鳥。
以前に広元が「鎌倉は安泰」と言ったセリフ通り、頼朝にとって絶好の「足固めの儀式」と言えるでしょう。
■『愚管抄』が描く広常の最期
では、史実の広常がどんな最期を遂げたのか、史料をひもといてみましょう。
広常が亡くなったのは寿永2年(1183年)12月22日。この年は鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』がの記述がほとんど抜け落ちているため、慈円の日記『愚管抄』から引用します。
ちなみに慈円(じえん)は九条兼実(演:田中直樹)の弟で、後に天台座主(てんだいざす。比叡山延暦寺の住職で、天台宗の総責任者)として活躍。
広常を惨殺する景時(イメージ)
【意訳】上総介八郎広常と申す者は東国の強豪。頼朝が挙兵して平家を討伐できたのは、広常の功績大なりと言える。
しかし広常は「なぜ朝廷など気にするのか。坂東で独立すれば誰も手出し出来ぬ」などと朝敵に対して謀叛の心を持っている。
そんな「広常を従えていたら、頼朝まで謀叛を疑われてしまうので、粛清すべき」と頼朝に伝えた。そこで頼朝は梶原景時に広常を討たせた。まことに梶原の大手柄である。
双六を打っている最中、一瞬の隙を衝いて一刀に広常を斬り捨て、その首級を頼朝に献上したという。
これらの報告が事実であるなら、梶原はほんとうに朝廷の宝と言うべき人材である。
……要するに「広常は強いが、朝廷に対して反抗的である。なので今後の出世を考えたら粛清すべきとの意見に従い、頼朝は景時に命じて広常を暗殺させた」という流れになります。
■終わりに
ちなみに双六(すごろく)とはよくイメージされる人生ゲーム的なものではなく、バックギャモンに近いルールや道具で遊ぶものでした。
当時、庶民からやんごとなき方々まで大流行。博奕に使われて破産する者が後を絶たなかったため、たびたび禁止令が出されたと言うから驚きです。
景時はそんな双六に広常を誘い、大いに盛り上がったところを一刀に斬殺したのでした。
広常の最期(イメージ)
景時「磯n……じゃなかった上総殿、双六しようぜ!」
広常「いいよ。
なぜ他人の家でゲームするのか……とも思ってしまいますが、当時の御所は御家人たちのコミュニティスペースとしてしばしば活用されていました。御所で開かれた宴会や双六大会など、様々なイベントの様子が『吾妻鏡』にも記されています。
和気あいあいと盛り上がった次の瞬間、刀を抜いて斬り殺す。こうした残虐さと長閑(のどか)さ、ゆるさを併せ持つのが坂東武者という生き物でした。
……頼朝の御所で殺人事件があったため、そこに住む頼朝も穢れた心身で神前に出ることを遠慮したのです。現代でも喪中に神社へ参拝しなかったり、年始の挨拶を自粛したりする感覚と似ていますね。
大河ドラマでは、広常も(かつて斬首した大庭景親のごとく)首級が登場するのでしょうか(イメージ)
なお、間もなく頼朝たちは広常を殺したことを深く後悔するのですが、それは又のお楽しみ(尺の都合上、大河ドラマでは割愛されるかも知れませんが……)。
果たして大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、広常の最期をどのように描くのでしょうか。広常ファンとしては心苦しい限りながら、覚悟して見届けたく思います。
※参考文献:
それを討つべく源義経(演:菅田将暉)を派遣した源頼朝(演:大泉洋)でしたが、本拠地の鎌倉では御家人たちが叛旗をひるがえしつつありました。
さて、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」4月17日(日)放送の第15回。サブタイトルは「足固めの儀式」、毎度ながら意味深ですね。
今回はどんな展開が待っているのでしょうか。
■広元が仕組んだ「足固めの儀式」
義時「もし、あの方々から誘われたら、乗ってやって欲しいのです」御家人たちの謀叛に誘われたら、あえてこれに応じて欲しい……江間小四郎義時(演:小栗旬)からの依頼を、上総介広常(演:佐藤浩市)は訝しみます。
広常「……どういう了見だ」
義時「鎌倉殿のことは気になさらず、御家人たちの味方に」
※「鎌倉殿の13人」第14回放送「都の義仲」より
実はこれ、大江広元(演:栗原英雄)の差し金で、その真意はまだ小四郎も知れません。
かねて広常を警戒していた大江広元(イメージ)
ちなみに、御家人たちの謀叛は大河ドラマの創作なので、ここで御家人たちを死なせる訳には行かないはずです。
よって謀叛は失敗に終わるか、あるいは未然に防がれるでしょう。そうでないと、話が散らばり過ぎて史実への収拾がつかなくなってしまいます。
(いくらフィクションとは言え、あまりに荒唐無稽では歴史ファンは離れてしまうでしょう)
とは言え「鎌倉が二つに割れた(※第14回ナレーションより)」ほどの謀叛について、未遂であれ誰一人お咎めなしとは流石に考えにくい。ましてあの頼朝です。
となると、誰かを人柱に立てる必要があります。それにふさわしいのは頼朝の武士団で最大の勢力を誇る広常を措いていないでしょう。
あえて謀叛に加担させ、それを理由に広常を粛清する……それが広元の魂胆と考えられます。

頼朝を「武衛、ブエイ」と呼んで、誰よりも惚れ込んでいた広常。大江広元は、そこへつけ入った(イメージ)
誰よりも武衛に忠誠を誓っている広常であれば、万が一にも本心から謀叛に加担する可能性は限りなく低いはずです。
そして謀叛の中心人物となった広常が矛を収めれば、自然と他の御家人たちも戦意を喪失。謀叛は未然に防がれるか、仮に起こっても被害はごく限定的なものに留まります。
諸刃の剣である広常を始末できる上、御家人たちからも叛逆の士気を殺げる……まさに一石二鳥。
以前に広元が「鎌倉は安泰」と言ったセリフ通り、頼朝にとって絶好の「足固めの儀式」と言えるでしょう。
■『愚管抄』が描く広常の最期
では、史実の広常がどんな最期を遂げたのか、史料をひもといてみましょう。
広常が亡くなったのは寿永2年(1183年)12月22日。この年は鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』がの記述がほとんど抜け落ちているため、慈円の日記『愚管抄』から引用します。
ちなみに慈円(じえん)は九条兼実(演:田中直樹)の弟で、後に天台座主(てんだいざす。比叡山延暦寺の住職で、天台宗の総責任者)として活躍。
大河ドラマには登場するでしょうか。
介の八郎広常と申し候し者は東国のノ勢人。頼朝打ち出で候いて君の御敵退け候はんとし候いし初めは、広常を召し取り手、勢にしてこそかくも打ちえて候しかば、功有る者にて候しかど、思い廻らし候えば、なんじょう朝家の事をのみ見苦しく思うぞ、ただ坂東にかくてあらんに、誰かは引働かさんなど申して、謀反心の者にて候いしかば、係る者を郎従に持ちて候はば、頼朝まで冥加候はじと思いて、失い候にきとこそ申しける。その介八郎を梶原景時をして討たせたる事、景時が功名と云うばかりなり。双六を打ちて、さりげなしにて盤を越えて、やがて首を掻き切りて持って来たりける。誠しからぬ程の事なり。細かに申さば、去る事は僻事もあればこれにて足りぬべし。この奏聞の様子誠ならば、返す返すも朝家の宝なりける者かな。
※『愚管抄』巻六より

広常を惨殺する景時(イメージ)
【意訳】上総介八郎広常と申す者は東国の強豪。頼朝が挙兵して平家を討伐できたのは、広常の功績大なりと言える。
しかし広常は「なぜ朝廷など気にするのか。坂東で独立すれば誰も手出し出来ぬ」などと朝敵に対して謀叛の心を持っている。
そんな「広常を従えていたら、頼朝まで謀叛を疑われてしまうので、粛清すべき」と頼朝に伝えた。そこで頼朝は梶原景時に広常を討たせた。まことに梶原の大手柄である。
双六を打っている最中、一瞬の隙を衝いて一刀に広常を斬り捨て、その首級を頼朝に献上したという。
これらの報告が事実であるなら、梶原はほんとうに朝廷の宝と言うべき人材である。
……要するに「広常は強いが、朝廷に対して反抗的である。なので今後の出世を考えたら粛清すべきとの意見に従い、頼朝は景時に命じて広常を暗殺させた」という流れになります。
■終わりに
ちなみに双六(すごろく)とはよくイメージされる人生ゲーム的なものではなく、バックギャモンに近いルールや道具で遊ぶものでした。
当時、庶民からやんごとなき方々まで大流行。博奕に使われて破産する者が後を絶たなかったため、たびたび禁止令が出されたと言うから驚きです。
景時はそんな双六に広常を誘い、大いに盛り上がったところを一刀に斬殺したのでした。

広常の最期(イメージ)
景時「磯n……じゃなかった上総殿、双六しようぜ!」
広常「いいよ。
それじゃあ鎌倉殿の御所でな!」
なぜ他人の家でゲームするのか……とも思ってしまいますが、当時の御所は御家人たちのコミュニティスペースとしてしばしば活用されていました。御所で開かれた宴会や双六大会など、様々なイベントの様子が『吾妻鏡』にも記されています。
和気あいあいと盛り上がった次の瞬間、刀を抜いて斬り殺す。こうした残虐さと長閑(のどか)さ、ゆるさを併せ持つのが坂東武者という生き物でした。
壽永三年正月小一日辛卯。霽。鶴岡八幡宮有御神樂。前武衛無御參宮。去冬依廣常事。營中穢氣之故也。……(以下略)【意訳】この日は晴れ。鶴岡八幡宮でお神楽があったが、頼朝は参拝しなかった。
※『吾妻鏡』寿永3年(1184年)1月1日条
去年の冬(12月22日)に広常を暗殺して心身がケガレていたからである。
……頼朝の御所で殺人事件があったため、そこに住む頼朝も穢れた心身で神前に出ることを遠慮したのです。現代でも喪中に神社へ参拝しなかったり、年始の挨拶を自粛したりする感覚と似ていますね。

大河ドラマでは、広常も(かつて斬首した大庭景親のごとく)首級が登場するのでしょうか(イメージ)
なお、間もなく頼朝たちは広常を殺したことを深く後悔するのですが、それは又のお楽しみ(尺の都合上、大河ドラマでは割愛されるかも知れませんが……)。
果たして大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、広常の最期をどのように描くのでしょうか。広常ファンとしては心苦しい限りながら、覚悟して見届けたく思います。
※参考文献:
- 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
- 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2022年1月
- 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
編集部おすすめ