■前編のあらすじ

屋島の合戦に勝利した源義経(演:菅田将暉)は平家一門を四国から追い出し、とうとう壇ノ浦まで追い詰めました。

平家一門の背後では源範頼(演:迫田孝也)の軍勢が中国・九州を制圧しており、もう逃げ場はありません。


挙兵からおよそ4年半、とうとう源平合戦はクライマックスを迎えるのでした。

前編の記事

「鎌倉殿の13人」ついに平家討伐の最終決戦!第18回放送「壇ノ浦に舞った男」予習【前編・屋島の合戦】

■壇ノ浦の合戦・戦闘時刻と潮の流れ

昔から壇ノ浦の合戦は「午前中は平家の追い潮で平家有利だったところ、正午を過ぎて潮流が逆転して源氏が勝利した」と言われます。実際のところはどうだったのでしょうか。

大正時代の調査では8ノット(時速約14.8キロ)という数値が出たそうですが、その調査地点は最も幅の狭い早鞆瀬戸(はやとものせと。関門海峡)。ここで数百艘から数千艘の軍船(※)がひしめき合うのは現実的ではありません。

(※)『吾妻鏡』では平家500艘に対して源氏800艘、『平家物語』では平家1,000艘に対して源氏3,000艘と言われます。

「鎌倉殿の13人」ついに平家討伐の最終決戦!第18回放送「壇...の画像はこちら >>


壇ノ浦の合戦。土佐光信「安徳天皇縁起絵図」より

海上保安庁などが潮流を調査した結果によると、合戦が行われた(現実的に両軍の船を収容できる)海域では1ノット(時速1.9キロ。歩いた方が早い速度)以下と流れも緩く、戦況に影響するほどではなかったとか。

また、『吾妻鏡』によれば合戦は午前中で終わったとされており、この場合は潮流が変わるまでもなく戦闘は終了。

対して『玉葉』では正午ごろから申の刻(16時ごろ)にかけて戦われたとされており、いずれにせよ潮流の変化による影響はなかったと言えそうです。


■壇ノ浦の合戦・八艘跳びと平教経の最期

大河ドラマにはこれまで一切登場して来ませんでしたが、義経が「八艘跳び」を演じるには不可欠な平教経(たいらの のりつね)。その役に誰がキャスティングされるのか、楽しみですね!

教経は永暦元年(1160年)、平教盛(のりもり)の次男で、亡き平清盛(演:松平健)の甥に当たります。

『平家物語』では歴戦の勇士、王城一の強弓精兵として名を馳せ、義経のライバルとして立ちはだかりました。

一方で『吾妻鏡』だとあまり目立たず、元暦2年(1185年)2月7日の一ノ谷合戦で討死したことになっていますが、『玉葉』では生存の噂が流れていたことから、実は生き延びていたのでしょう。

壇ノ浦では敗北をさとった平家一門の者たちが次々と入水自殺しく中、なおも獅子奮迅の抵抗を示しますが、従兄の平知盛(とももり)から「もはや勝負が決した以上、無駄に罪作りなこと(殺生)をするな」と諭されました。

「それならせめて、総大将を道連れにしてくれるわ!」

と義経を目がけて挑みかかったところ、捕まったら敵わない義経は次から次へ、舟を八艘跳んで逃げます。

「鎌倉殿の13人」ついに平家討伐の最終決戦!第18回放送「壇ノ浦に舞った男」予習【後編・壇ノ浦の合戦】


「こら、逃げるな!」義経を追う教経。月岡芳年「芳年武者无類 能登守教経 九郎判官源義経」

義経に逃げられてしまった教経は、ならば「我と思わん者は組討ちせよ。生け捕って鎌倉へ連れていけ」と周囲を挑発。すると土佐国(高知県)の住人・安芸太郎(あきの たろう)と安芸次郎(じろう)の兄弟、そして力自慢の郎党が3人がかりで襲ってきました。

「貴様ら、死出の旅路の供をせよ」

教経はまず郎党を海へ蹴落とすと、安芸太郎と次郎を両脇に抱え込んで海に飛び込み、そのまま沈んでいったということです。

■壇ノ浦の合戦・平家一門の最期

安徳天皇「尼や、朕をどこへ連れてゆくの」

二位尼「弥陀の浄土へ参りましょう。
波の下にも都がございますよ……」

すでに勝負も決し、もはや命運尽きた平家一門は次々と入水自殺を遂げていきます。

二位尼(にいのあま。亡き清盛の正室)は腰に宝剣(草薙剣)を差して安徳天皇(演:相澤智咲)を抱いて入水。

ほか平教盛、平資盛(すけもり。清盛の長男・平重盛の次男)、平有盛(ありもり。同三男)、平行盛(ゆきもり。清盛の次男・平基盛の長男)らも後に続きました。

そんな中、平家の棟梁であった平宗盛(演:小泉孝太郎)とその嫡男・平清宗(きよむね)も一応飛び込みはしたものの、命を惜しんで浮かび上がります。

なまじ水練が達者だったため泳ぎ回っていたところ、義経の軍勢に生け捕られてしまったのでした。

「……見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」
【意訳】この世で見ておくべきものはすべて見届けた。もう、未練はない。


「鎌倉殿の13人」ついに平家討伐の最終決戦!第18回放送「壇ノ浦に舞った男」予習【後編・壇ノ浦の合戦】


自決を前に船を掃き清める知盛。最期を潔く努めるのが武士の美学。月岡芳年「芳年武者无類 新中納言平知盛」

平家一門が入水自殺を遂げるのを見届けた平知盛は自身も入水するのですが、敵に辱められるのを防ぐため、遺体が浮かび上がらぬよう錘を身につけます。

伝承によって大きな船の碇(いかり。アンカー)を担ぎ上げたとも、鎧を二重にまとったとも言われますが、最後の最期までその豪勇ぶりを示したのでした。

■壇ノ浦の合戦・三種の神器の行方

かくして平家は滅亡したものの、その持っていた三種の神器はどうなったのでしょうか。

三種の神器とはかつて皇室の祖先神である邇邇芸命(ニニギノミコト)が高天原(たかまがはら。天上世界)から葦原中国(あしはらのなかつくに。現代の日本)へ旅立つ時、祖母である天照大御神(アマテラスオオミカミ)から授かったもの。

以来、皇室の神宝として皇位継承の正統性を証明する役割を果たすものでした。だから後白河法皇(演:西田敏行)も必死に取り戻そうとしていたのですね。

具体的には草薙剣(くさなぎのつるぎ)・八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の三種類。
草薙剣は二位尼が腰に差して入水、八咫鏡と八尺瓊勾玉は箱に入っていたため浮かび上がり、いずれも回収されました。

※あるいは一度海中に没したものの、捜索の結果見つかったとする伝承もあります。

「鎌倉殿の13人」ついに平家討伐の最終決戦!第18回放送「壇ノ浦に舞った男」予習【後編・壇ノ浦の合戦】


神器を継承される天皇陛下(現:上皇陛下)。たとえ陛下でもその中はご覧になれない。画像:Wikipedia(首相官邸)

これらの神器は堅く封じられ、たとえ天皇陛下であろうと見ることを許されませんでしたが、『吾妻鏡』によれば畏れ知らずな源氏の兵たちがこれを開封しようとしたとか。

……其後軍士等乱入御船。或者欲奉開賢所。于時兩眼忽暗而神心惘然。平大納言〔時忠〕加制止之間。彼等退去訖。……

※『吾妻鏡』元暦2年(1185年)3月24日条

ある者が賢所(かしこどころ。八咫鏡の代名詞)を見てみようと封を開けようとしたところ、にわかに目が眩んで呆然としてしまいます。


その様子を発見した平時忠(ときただ。清盛の義弟)が「この不届き者め、神器を何と心得るか!」と追い払いました。ただならぬ様子に、源氏の兵たちも畏れをなしていたのでしょう。

しかし、草薙剣だけはどうしても見つからず、仕方なく朝廷では伊勢の神宮より献上された宝剣を分身としたのでした。

現代的な感覚だと「何だ、ニセモノか」と思ってしまいそうですが、分身とは蝋燭の火を移すようなもの。移した元の火はもちろんのこと、移った先の火も同じく本物なのです。

■終わりに・平家の意地を見せてくれ!

以上、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第18回放送「壇ノ浦に舞った男」の予習に屋島・壇ノ浦の合戦を紹介してきました。

「鎌倉殿の13人」ついに平家討伐の最終決戦!第18回放送「壇ノ浦に舞った男」予習【後編・壇ノ浦の合戦】


海の底に沈んだ知盛主従。歌川国芳筆

以前の大河ドラマであれば屋島、壇ノ浦とそれぞれ1回分ずつとっていたところを、本作では一気に放送してしまうようです。

あまりの速さに目まぐるしい展開が予想されるものの、振り落とされないようしっかりと注目していきましょう。

これまで影薄く、幸も薄げに押されまくっていた平家一門ですが、是非とも最期の意地を見せつけて欲しい所です。

※参考文献:

  • 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 2平氏滅亡』吉川弘文館、2008年3月
  • 菱沼一憲『源義経の合戦と戦略 その伝説と虚像』角川書店、2005年4月
  • 元木泰雄『源義経』吉川弘文館、2007年1月
  • 森本繁『源平 海の合戦 史実と伝承を紀行する』新人物往来社、2005年1月
  • 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2022年1月
  • 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月

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