さねさし 相武(さがむ)の小野に 燃ゆる火のそう言って荒れ狂う海に身を投げ(自ら生贄として命を捧げ)、愛する倭建命(ヤマトタケルノミコト。
火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも
【意訳】かつて燃え盛る炎の中で、私の身を案じて声をかけてくれたあなたの愛情を、私は決して忘れません。
海中へ身を投げる弟橘比売命。菊池容斎『前賢故実』より
二人の愛情物語は悠久の歳月を経てもなお色褪せず、人々を惹きつけてやみませんが、そのお話しは又の機会に。
今回のテーマは「さねさし」。日本語らしいやわらかくやさしい響きがいい感じですが、これは一体どういう意味なんでしょうか。
調べてみると、相模国(現:神奈川県の大部分)にかかる枕詞(まくらことば。特定の単語につけてセットにするお約束フレーズ)とのこと。
なので相武国(さがむ。相模の古称)と言えば頭に「さねさし」とつけるお約束に(もちろんつけなくてもいい)。だから弟橘比売命もそう詠んだのでしょうが、お約束になっているからには何か意味があるはずです。
そこで今回は、古語「さねさし」の語源について紹介。
■実に素晴らしい佐斯(さし)国?
「さねさし」の語源には諸説ありますが、「さねさし」を分解すると「さね」と「さし」から構成されます。
「さね」とは実、つまり実に(=心から)素晴らしいことを意味し、「さし」とは相模国の古称である佐斯(さし)国に由来するのだとか。

佐斯国の概略図(推定)
佐斯国とは現代の神奈川県だけでなく、関東地方の南西部(埼玉県+東京都+神奈川県)一帯を含んでおり、それがさらに南北で北が下佐斯(しもさし⇒もさし⇒むさし。武蔵国)・南が佐斯上(さしがみ⇒さがみ。相模国)に分かれます。
なぜ北が下で南が上なのかと言うと、電車の上り下りと同じく都(畿内)に近い方が上になるのです(※江戸時代の国学者・本居宣長の説に基づく)。
これらを総合すると「実に素晴らしい佐斯の国」となりますが、佐斯国は相模国だけではないのに、どうして相模国の枕詞になったのでしょうか。
もしかしたら、実に素晴らしい佐斯国の中でも都に近い佐斯上=相模を「実に素晴らしい中でも特に素晴らしい」としたのかも知れません。
あるいは当時の人々はそこまで厳密に考えておらず、旧佐斯国に該当する地域はみんな「さねさし」を枕詞としていた可能性も考えられます。
■終わりに
他にも「さねさし」の語源は色々あるのだとか。

敵に火を放たれるも、迎え火で返り討ちにした倭建命。
さ(接頭語)+ね(根)+さし(焼き畑)
⇒草がびっしり生い茂っており、焼き畑で土地を開拓したため。
さ(接頭語)+ね(嶺)+さし(せまい、そびえたつ、けわしい)
⇒険しい峰々が所狭しとそびえ立つ地であるため。
さね(実に)+さし(誉め言葉)
⇒さし、を国名でなく誉め言葉と解釈。
……などなど。未だに決着を見ていない「さねさし」の語源。皆さんは、どれがしっくり来ましたか?
弟橘比売命のほかにも「さねさし」と詠んでいる和歌を見つけたら、今回の諸説を思い出してみると楽しめそうです。
※参考文献:
- 石野瑛『神奈川県史概説』歴史図書社、1958年1月
- 楠原佑介ら編『古代地名語源辞典』東京堂出版、1981年9月
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