江戸時代後期に徳川家の第11代将軍として君臨した徳川家斉。側室は16人以上、子供は50人以上もいたと言われる絶倫将軍です。


この絶倫将軍が美しすぎる女性「お美代の方」と出会い、「感応寺事件」とよばれる事件が勃発します。この事件の舞台となった感応寺では、イケメン僧侶と大奥の女中らとの淫行が行われていました。

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■徳川家斉とお美代の方の出会い

男に飢えた大奥の女中がイケメン僧侶と密会するため忍び込んでで...の画像はこちら >>


お美代の方は日啓という僧侶の娘でしたが、美しい容姿を見込まれて旗本「中野清武」の養子(養女)となります。もともと清武はお美代の方を大奥へ送り込み、家斉に取り入ろうと目論んでいました。そしてお美代の方を家斉に会わせたところ、清武の思惑通りに。家斉は、お美代の方を大変気に入り、大奥に迎え入れました。

その恩恵を受けた実父の日啓と養父の清武は、次第に影響力を持つようになります。

■感応寺

もともと廃寺だった感応寺ですが、お美代の方が家斉に頼み込み、名前だけを引き継いだ形で雑司ヶ谷(東京都豊島区)の広大な土地に寺を建築・復興しました。住職を務めたのは、お美代の方の実父「日啓」。

将軍家が後ろ盾についている感応寺は大名らからも絶大な信仰を受けるようになります。なかでも、熱心に参詣に訪れるようになったのが大奥の女中たちでした。

普段から外出禁止や禁欲生活などを強いられている彼女らにとって、唯一外出が許された感応寺は息抜きできる貴重な場所となったのです。


■イケメン僧侶に会いたいの…

いつしか感応寺には、大奥女中たちが頻繁に参詣するように。

実は、女中たちにはある秘密の目的があったのです。それは寺にいるイケメン僧侶たちと密会することでした。

感応寺の住職となった日啓は、イケメン僧侶を揃えて男に飢えた大奥の女中らを味方につけることで、より権力を掌握しようと考えます。そんな日経の手により、接待役のイケメン僧侶と大奥の女中たちの間には、乱れた肉体関係が築かれていきました。

男に飢えた大奥の女中がイケメン僧侶と密会するため忍び込んででも通いつめた「感応寺」とは?


■淫行の果てに

ついには、イケメン僧侶のことが恋しくなって感応寺に忍び込む女中も現れるように。

しかしあるとき、寺と大奥の女中の関係に勘づいた寺社奉行が抜き打ち調査を行ったことで、感応寺と女中らの淫らな関係が発覚します。なかには、寺に運ばれる長持の中に隠れて忍び込もうとする女中も見つかったとか。

抜き打ち調査で問題視された感応寺ですが、家斉の後ろ盾もあり深くは追求されませんでした。

しかし、家斉の没後には老中「水野忠邦」によって島流しの刑に処されています。

一方、お美代の方と養父の清武は関与を否定して、ちゃっかり責任を回避しているというから「したたか」としか言いようがありません。

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