なので土地の権利をめぐって訴訟が絶えず、鎌倉幕府の裁判を司る問注所(もんちゅうじょ)ではよりよい裁判制度の確率に苦心したようです。
そして確立されたのが三問三答(さんもんさんとう)システム。鎌倉時代中期より発展したと言いますが、調べてみると、これが意外に合理的。
果たして、どんな制度なんでしょうか。
■三度にわたる書類のやりとり
まず、訴訟を起こす原告を訴人(そにん)と言い、訴える内容を書いた訴状に具書(ぐしょ/そなえがき。証拠書類)を添えて問注所に提出します。
「はい、確かに受理しました」
賦方(くばりかた)によって受け付けられた書類一式は引付衆(ひきつけしゅう。評定衆の下に設けられた訴訟特化機関)に上申され、引付衆より被告となった論人(ろんにん)に対して問状(といじょう/もんじょう)を発行。
問状の発行(イメージ)
「そなたは訴人の某より何々の件で訴えられた。訴状と具書を送付するので、その内容について弁明せよ」
かつては問状の書面に「訴人の主張どおり、不法行為を行っているならばただちにそれを停止し、子細(事情)あらば反論・弁明せよ」との旨が記されていたため、これを判決状と勘違いする者が続出。
満足に文字が読めない相手に対して自分の要求をゴリ押しする問状狼藉が横行したと言います(これを受けて当局は文面を改め、また「御成敗式目」にも問状狼藉を禁じる条文が記されています)。
一、帶問状御敎書、致狼藉事さて話を戻すと、訴えられた論人はこれに対して反論または弁明を陳述する陳状(ちんじょう)を問注所へ提出しました。
右就訴状被下問状者定例也、而以問状致狼藉事、姧濫之企難遁罪科、所申爲顯然之僻事者、給問状事一切可被停止
※「御成敗式目(貞永式目)」第51条より
【意訳】訴状を提出した者に対して問状を発行するのは当然の手続きに過ぎず、その者に何かしらの権利を保証したことを意味しない。しかし(相手の無学をよいことに)問状を悪用して詐欺や脅迫を行う者がおり、これを厳しく罰する。今後は明らかにそうした悪意のうかがえる者に対して問状を発行しない(=訴訟を受け付けない)。
ちなみに、論人が陳状を提出しないと当局より召状(めしじょう。出頭命令書)が出されます。これは書状を作れない(学がなくて上手く書けないなど)者のために「言い分を聞いて、こっちでまとめてやるから来い」という配慮でしょう。
それでも出頭しなかった場合はそのまま原告の勝訴となりますが、やがて時代が下って室町幕府では期限内に陳状を提出しなかった場合、召状の手続きは省略=ただちに原告の勝訴とされたようです。
さて、論人がきちんと陳状を提出したら、今度はそれを訴人に渡して書類のキャッチボールが一巡(一問一答)、これを3ターン繰り返したので三問三答と言いました。
果たして三問三答のやりとりが終わると、引付衆は初めて両者を問注所へ呼び出して最終的な意見を交わさせます。

引付衆の前で最終的な討論。これまでの経緯や前提は共有できているため、話がスムーズに進んだはず?(イメージ)
この時、ついカッとなって相手を罵倒したり、手足が出たりした者は罰せられました。
一、惡口咎事それまで書状のやりとりを通して互いの意見を整理し、またいくらか時間をおいているため、(比較的)冷静かつ理論的な話し合いができたはずです。
……問注之時吐惡口、則可被付論所於敵人……
※「御成敗式目(貞永式目)」第12条より
【意訳】訴訟において暴言を吐いた者は、ただちに相手方の勝訴とする。
審議の結果は引付衆から評定衆(ひょうじょうしゅう。宿老による合議)へ上げられ、執権と連署(れんしょ。副執権)を交えた合議の結果、最終的な判決が下されました。
この判決状を関東下知状(かんとうげちじょう)と呼びます。鎌倉殿の意思として勝訴者へ発給され、法的な効力を発するのでした。
■終わりに
以上、ごくざっくりと鎌倉時代の訴訟制度について紹介してきました。

関東下知状をもらってご満悦(イメージ)
いきなり当事者同士が顔を合わせて感情のまま訴え散らすのではなく、互いの主張を文章に整理していく三問三答システム。
ちょっと書類のやりとり(問注所の発行してくれた書類は、基本的に自分で先方へ届けに行く)が面倒そうですが、それだけの手間をかけてもより公平・公正な裁判が望まれたことがわかりますね。
※参考文献:
- 石井進ら『中世政治社会思想 上』岩波書店、2016年11月
- 細川重男『宝治合戦 北条得宗家と三浦一族の最終戦争』朝日新書、2022年8月
- 『日本史大事典4 す~て』平凡社、1993年8月
- 『日本史大事典6 へ~わ』平凡社、1994年2月
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