何だか呪文のようですが、この言葉にはどんな意味や由来があるのでしょうか。今回はそれを調べてみたので、令和5年(2023年)NHK大河ドラマ「どうする家康」の予習にどうぞ。
■厭離穢土欣求浄土の意味を解説
まずはそれぞれの言葉を分解しましょう。
「厭離穢土」「欣求浄土」の旗印。「姉川合戦図屏風」より
一、厭離(おんり)とは厭(いと)い離れること。
一、穢土(えど)とは穢(けが)れた土、すなわち汚らわしい場所。転じて俗世。
一、欣求(ごんぐ)とは欣(よろこ)び求めること。
一、浄土(じょうど)は清浄な土、すなわち極楽浄土を指します。
これらを総合すると「穢れた俗世から離れ、極楽浄土を喜び求める」という意味に。もちろん、そのためには功徳を積む必要があるはずですから、まことによい心がけではあります。
しかし、解釈によっては単なる現実逃避にとれなくもありません。
■登誉天室(登誉上人)が贈った言葉
時は永禄3年(1560年)、桶狭間の合戦で主君・今川義元(いまがわ よしもと)を喪った家康は将来を絶望。
もはやこれまでと菩提寺の三河国大樹寺(愛知県岡崎市)へ駆け込み、先祖代々の墓前で自刃を図りました。
それを引き止めたのが住職の登誉天室(とうよ てんしつ)。

弱気な家康を叱咤激励する登誉上人。月岡芳年筆
「厭離穢土欣求浄土という教えがありますが、これは穢土から浄土へ逃げ込めと言っているのではなく、今いる穢土を浄土に変えるべく闘えと言うことです」
つまり穢土を厭うて自ら離れる(世を去る)のではなく、土の穢れを祓い清めるべしという不動の姿勢を説いたものです。
誰もが欲望のために戦争を繰り広げた結果、世は乱れ日本国土が穢れきっている。それを終わらせるためにこそ、勇気を出して生き抜き闘うのだ……そんな登誉天室の言葉に奮い立った家康は、以来「厭離穢土欣求浄土」の言葉を旗印に立てて数々の戦いに身を投じたのでした。
……というのは山岡荘八の歴史小説『徳川家康』や、それを元にしたNHK大河ドラマ「徳川家康(昭和58・1983年)」などによって広く知られています。
家康伝説を彩るカッコいいエピソードながらその出典については未詳、恐らく創作でしょう。では、実際のところはどうなのでしょうか。
……前将軍家に御吉例の御旗あり、白布に、墨を以て厭離穢土欣求浄土と書きたり、これは三州浄土宗大樹寺の和尚登誉上人の筆なり、御筥に入れられ、御側に置かせ給ふ……永禄6年(1563年)から同7年(1564年)にかけて勃発した三河一向一揆の鎮圧に臨んで、登誉天室が家康のため白旗に墨書。
※『難波戦記』「御旗本合戦附扇子の御指物の事」より
以来、これを吉例として「厭離穢土欣求浄土」を大書した旗印を陣頭に押し立て、強敵たちと渡り合ったのでした。
■終わりに

「欣求浄土」の旗印(黄丸)を掲げ、三河一向一揆を鎮圧する家康。月岡芳年筆
以上、徳川家康の旗印「厭離穢土欣求浄土」について紹介しました。ところで江戸はもともと穢土と呼ばれ、あえてそこを新拠点に定めた家康は、極楽浄土の実現を夢見たのかも知れませんね。
果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」には登場するのか、登場するならどんな解釈が採られるのか、ここも見どころと言えるでしょう。
松本潤が演じる徳川家康と、里見浩太朗が演じる登誉上人の関係に注目ですね。
※参考文献:
- 岡野友彦『家康はなぜ江戸を選んだか』教育出版、1999年9月
- 清水克行『室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界』新潮社、2021年6月
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