Japaaan読者の皆さん明けましておめでとうございます。ライターの小山桜子です。
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さて、今年2023年はうさぎ年。更にはNHK大河ドラマ「どうする家康」で徳川家界隈が大盛況!というわけで、我らが誇る徳川将軍家の中でも異色のヘタウマ絵を描いた事で有名な三代将軍徳川家光公のうさぎの絵をご紹介します。

■主題は「守株待兎」?

その絵がこちら。

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徳川家光 《兎図》(部分)

ぐりりと大きく丸く、真っ黒な目が特徴のうさぎです。絵の主題については、「守株待兎」という韓非子(かんぴし)の中のことわざなのではという説があります。

「株を守りて兎を待つ」。いたずらに旧習を守って状況変化に対応しないこと、融通のきかないことを表すことわざです。

ある日、農夫が耕作していたとき、兎が走ってきて木の切り株にぶつかって死に、農夫は幸運にも兎を得ることができました。それ以来、農夫は仕事をやめ、株を見守って兎がぶつかってくるのを待ち続けた、という話です。しかし家光公の絵はぶつかって死ぬ兎、というよりは切り株に乗っかっちゃってるしなあ・・・・・・、というわけで結論はナゾです。

■ゆるふわな絵の裏の苛烈な政治

【卯年】ゆるふわ?それともサイコパス?江戸幕府三代将軍・徳川家光の「うさぎ画」に再注目!


徳川家光像

一方、家光の治世を顧みるとゆるふわな絵とは真逆の、かなり苛烈な政策を行なっていることが分かります。
武家諸法度の改訂では、大名の経済力を削ぐために参勤交代を義務づけたのはまだ序の口。

対外的には長崎貿易の利益独占目的、キリシタンの排除などを目的として、対外貿易の管理と統制を強化し、その過程で長崎奉行の竹中重義に改易と切腹を命じました。

さらに寛永14年(1637年)に起きた島原の乱を鎮圧し、乱の責任を問うとして大名(松倉勝家)を切腹ではなく斬首に処しました。

そしてついにはポルトガルとの断交を決意、ポルトガル人の追放を命じた命令(第五次鎖国令)を発布。寛永18年(1641年)にはオランダ商館を出島に移転し、長崎を通じた貿易の管理・統制である「鎖国」体制を完成させたのです。

■かわいい?それとも・・・・・・

目立つのは乱の鎮圧、切腹、斬首・・・・・・。いずれも血を伴う政治が断行されている事です。彼の政治をなぞった後にもう一度、うさぎの絵を見てみると、あのかわいいはずの真っ黒な目が、なんだか恐ろしく見えてはきませんか・・・・・・?

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