侘びさび、千利休、茶室……。日本の文化や歴史において、「茶」は大きな存在感を放っているもののひとつではないでしょうか。
今でも、お茶は人気のある習い事であると思います。

お茶にはさまざまな楽しみ方がありますが、そのなかのひとつ「闘茶(とうちゃ)」をご存じでしょうか?「闘」という字が使われていると何だか物騒ですが、貴族や武士など、上流階級で流行ったお茶の遊びのひとつです。

今回の記事では、そんな「闘茶」について詳しくご紹介したいと思います!

■闘茶とは?

闘茶(とうちゃ)は、お茶の点て方や、お茶を飲んでその味や香りから銘柄や産地を当てるなどして勝敗を決める遊びです。「茶歌舞伎(ちゃかぶき:茶香服とも書かれます)」「利き茶」「茶寄合(ちゃよりごう)」などと呼ばれることもあります。

現在では、礼儀作法や服装にそれほど気を遣うことなく気軽に楽しめる伝統文化のひとつとして残っています。

賭け事になるほど流行…禁止令も。貴族や武士らが嗜んだ「闘茶(...の画像はこちら >>


■闘茶の始まりは?

中国では、唐の時代に始まり、宋王朝のときに発展したとされる闘茶。日本には、鎌倉時代に伝わったと言われていますが、中国と日本ではそれぞれ独自の発展を遂げていきました。

鎌倉時代は、日本において本格的に喫茶が行われるようになった時代でもあります。闘茶については、鎌倉時代末期の『花園院宸記』に記載のある、後醍醐天皇の無礼講で開催された茶会がおそらく闘茶であると考えられています。



■賭け事になるほど流行!禁止令も

闘茶は鎌倉時代、南北朝時代、室町時代と続き、幕末・明治に至るまで流行したといいます。特に南北朝の動乱期には大流行となりました。貴族や武士など上流階級の遊びであったため、部屋の飾り付けや置物などが豪華になったり、賭け事が行われるようにもなりました。


しかし、賭け事が絡んできたことや、倫理面からの批判により、建武3年(1336年)に、室町幕府の将軍足利尊氏が、「建武式目」で闘茶を禁止しています。賭け事によって、財を失う人もいたといいますから、流行の度合いが見て取れますね。

15世紀中ごろから闘茶は衰退の様相を見せていきます。わび茶の大成とともに闘茶は茶道から排除されるように。しかし、歌舞伎役者たちが「歌舞伎茶(茶歌舞伎)」として愛好しつづけました。

17世紀の『千家七事式』には「茶カフキ」として取り上げられ、闘茶も茶道の一部として編入されるようになっています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです!

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