でもどういう訳か、セットの食器って大抵1組がどこかへ行ってしまったり、割れてしまったりしてしまうもの。まさに満ちたる月の欠けざるなし、でしょうか。
「残り9組あるからいいじゃないか」……確かにそうなのですが、いま目の前にある9組よりも失った1組の方が心に残るのが人間というもの。
今あるモノより、失ったモノに意識がいきがち
「あの時、息子が割っちゃったんだよね……」
「貸したっきり、返してくれなくてさ……」これではせっかくの時間が台無し。
かと言って「残り9組も要らない!」と、なかなか断捨離にも踏み切れないのが人情。だってもったいないから……。
往時の武士たちにもそんな迷いがあったようで、今回はそれを振り切った「賤ケ岳七本槍」加藤嘉明(かとう よしあき)のエピソードを紹介したいと思います。
■家臣が割った名品「虫喰南蛮」
加藤嘉明は羽柴秀吉(はしば ひでよし)に仕えた子飼いの武将で、賤ケ岳の合戦(天正11・1583年4月)はじめ数々の武功によって立身出世を果たしました。

加藤左馬之介嘉明。落合芳幾「太平記英勇傳」
そんな嘉明が大事にしていた「虫喰南蛮(むしくいなんばん)」という十枚セットの小皿を、家臣が一枚割ってしまったそうです。
「あ~あ……」
さぁどうするか。放逐か、お手討ちか……戦々恐々としていたところへ、帰って来た嘉明が報告を受けます。
「左様か」
言うなり嘉明は残った九枚の虫喰南蛮を持って来させ、これを片っ端から叩き割りました。
「「「御屋形様!?」」」
唖然とする周囲に対して、最後の一枚を割り終えた嘉明は説明します。
「確かにこの皿はお気に入りじゃった。しかしこれが為に家臣の名誉を損ねたり(粗忽者の汚名を付したり)、取り出すたびに嫌な思い出を残したりすることは我が本意ではない。怒っておらぬゆえ、気にするな」
器物を愛する心より、士を粗忽の名に汚したり、是皿十の数ある物の中、何の年、何某こそ損じつれと器物の出る度毎に其者の名を出さんこと吾本意にあらず、毛頭怒てするにあらず、吾非を改むる也これでスッキリした……モノは人が幸せに暮らすために必要なのであって、モノのせいで不幸になっては本末転倒。
※真田増誉『明良洪範』
どんな名品・逸品であろうと人の命には代えられない。九枚の小皿をあえて割ることで、大切なことを思い出した加藤嘉明は、その後も家臣たちから慕われたということです。
(何も割らなくても=譲るなどすれば良かったのでは……と思いますが、恐らく一枚でもこの世に残っていると未練になると考えたのかも知れませんね)
※参考文献:
- 笠谷和比古 監修『武士道 サムライ精神の言葉』青春出版社、2008年8月
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan