第10回放送「側室をどうする!」では、松平家康(演:松本潤。徳川家康)に嫁いだ“お葉(演:北香那)”こと西郡局(にしのこおりのつぼね)が実はレズビアンで、同僚の美代(演:中村守里)と愛し合ってめでたしめでたし……そんな展開に、視聴者の反応は様々でした。
「どうする家康」まさかのレズビアン宣言!お葉の告白に家康は…第10回「側室をどうする!」振り返り
※西郡局が同性愛者であったとする史料や文献を、寡聞にして存じません。恐らくは創作でしょう。

子供を産むだけが女性の価値ではない。しかしその役割が求められるのも、女性をとりまく現実である(イメージ)
しかし「もっとポンポン子供を産む側室を置け」という当初の目的は果たされておらず、その後も家康はポンポンと側室を置き続けます。
まさか、その一人々々に貴重な尺を割くとは思えませんが、徳川家康には確認できるだけで十数名もの側室がいました。
今回はそんな彼女たちを一挙に紹介。果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」には何人登場するのでしょうか。
■家康の妻たち一覧
まずは家康の側室たちを一覧にまとめましょう(※諸説あり、まだ他にいるかも知れません)。
- 西郡局
- 小督局(こごうのつぼね。於古茶、長勝院)
- 西郷局(さいごうのつぼね。於愛、宝台院)
- 於竹(おたけ。良雲院)
- 於都摩(おつま。下山殿、妙真院)
- 茶阿局(ちゃあのつぼね。久、朝覚院)
- 於亀(おかめ。相応院)
- 於久(おひさ。普照院)
- 於万(おまん。養珠院)
- 於梶(おかち。英勝院)
- 於富(おとみ。富子、信寿院)
- 於夏(おなつ。奈津、清雲院)
- 於六(おろく。養儼院)
- 於仙(おせん。泰栄院)
- 於梅(おうめ。蓮華院)
- 阿茶局(あちゃのつぼね。須和、雲光院)
- 於牟須(おむす。正栄院)
- 於松(おまつ。法光院)
- 三条氏(さんじょうし)
※お万の方と呼ばれる女性は複数おりますが、ストーリー上、家康の次男・結城秀康(ゆうき ひでやす)を産んだ小督局と推定。
果たして家康は彼女たちを全員覚えていられたのでしょうか(顔と名前だけならともかく、個々のエピソードや約束など諸々)。
ここに正室である瀬名(演:有村架純。築山殿)と、彼女亡き後に正室(継室)となる朝日姫(あさひひめ。南明院)が加わります。
それでは、頑張っていきましょう。
■西郡局(にしのこおりのつぼね)
生年不詳~慶長11年(1606年)5月14日没
別名:時姫
家族:加藤義広の娘⇒鵜殿長忠の養女
備考:鵜殿長照(演:野間口徹)・田鶴(演:関水渚)の義姪にあたる。
■小督局(こごうのつぼね)
天文17年(1548年)生~元和5年(1620年)12月6日没(享年73歳)
別名:於古茶(おこちゃ)、於万(おまん)の方など
家族:永見貞英の娘
備考:家康の次男・於義丸(後の結城秀康)を産む。築山殿の意向により浜松城を追われ、成長した秀康に従って越前北ノ庄(福井県福井市)へ移住。現地で没した。
また一説には秀康と同時に双子の永見貞愛(ながみ さだちか)を産んだとも言われる。
■西郷局(さいごうのつぼね)

西郷局(画像:Wikipedia)
天文21年(1552年)生~天正17年(1589年)5月19日没(享年38歳)
別名:於愛の方
家族:戸塚忠春の娘⇒西郷清員の養女
備考:家康の三男・長松(後の徳川秀忠)、四男・福松丸(後の松平忠吉)を産む。美人で温厚誠実な性格が家康はじめ人々から愛された。強度の近眼で盲目の女性に同情し、手厚く保護したと言う。
■於竹(おたけ)
生年不詳~寛永14年(1637年)3月12日没
家族:諸説あり(父は市川昌永?穴山信君?秋山虎康?武田信玄?)
備考:天正8年(1580年)に家康の三女・振姫(ふりひめ)を産んだとされるが、於都摩(下山殿)が産んだとの説も。
■於都摩(おつま)
永禄7年(1564年)生?~天正19年(1591年)10月6日没(享年28歳)
別名:下山殿、秋山夫人など
家族:秋山虎康の娘⇒穴山信君の養女
備考:天正10年(1582年)、武田家の滅亡直前に穴山信君(演:田辺誠一)が織田信長(演:岡田准一)に降伏した時に家康へ嫁ぐ。家康の五男・万千代(後に武田信吉)を産む。
■茶阿局(ちゃあのつぼね)
天文19年(1550年)生?~元和7年(1621年)6月12日没(享年72歳)
別名:久(実名)
家族:出自不明
備考:元は鋳物師の妻だったが、美人だったため横恋慕した代官に夫を殺される。
■於亀(おかめ)

於亀(画像:Wikipedia)
天正元年(1573年)生~寛永19年(1642年)9月16日没(享年70歳)
家族:父は志水宗清、母は龍雲院(東竹甲清女)
備考:はじめ竹腰正時に嫁いで竹腰正信を産むが、夫と死別。後に石川光元と再婚して石川光忠を産むが、離縁される。22歳の時に家康と三度目の結婚、家康の八男・松平仙千代(元服前に死去)と九男の五郎太(後の徳川義直)を産んだ。
■於久(おひさ)
生年不詳~元和3年(1617年)2月17日没
家族:間宮康俊の娘
備考:家康の四女・松姫を産むが4歳で早世。なお、松姫の生母は於梶とも言われる。
■於万(おまん)

勝浦城跡の養珠院(於万)像。画像:Wikipedia(sarugajyo氏)
天正5年(1577年)生~承応2年(1653年)8月22日没(享年77歳)
家族:父は諸説あり(正木頼忠?蔭山氏広?)母は智光院⇒江川英長の養女
備考:三浦一族の末裔。父が北条一族の滅亡に伴い失脚すると、江川英長の養女として家康の側室となる。家康の十男・長福丸(徳川頼宣)と十一男の鶴千代(徳川頼房)を産んだ。
■於梶(おかち)
天正6年(1578年)11月9日生~寛永19年(1642年)8月23日没(享年65歳)
家族:父は太田康資、母は法性院(父母とも諸説あり)
備考:幼名は「おはち(八)」だったが、家康の命により「おかち(梶、勝)」に改名。
聡明かつ男勝りな女性として知られ、多くの逸話が伝わった(ほとんど創作だが、家康に寵愛されたことの証左でもある)。
■於富(おとみ)
生年不詳~寛永5年(1628年)7月8日没
別名:山田富子(実名)
家族:山田氏
備考:ほとんど謎の女性。戒名は信寿院日富神尼。墓所は池上本門寺(東京都大田区)にある。
■於夏(おなつ)
天正9年(1581年)生~万治3年(1660年)9月20日没(享年80歳)
別名:奈津
家族:長谷川藤直の娘
備考:家康の寵愛を受けるも子供はなし。家康没後も長生きし、第4代将軍・徳川家綱(いえつな。家康の曾孫)の代まで命を永らえ大切にされたという。
■於六(おろく)
慶長2年(1597年)生~寛永2年(1625年)3月28日没(享年29歳)
家族:黒田直陣の娘
備考:於梶の部屋子から家康の側室となる。家康の死後は出家するが後に喜連川義親と再婚した。
■於仙(おせん)
生年不詳~元和5年(1619年)10月25日没
家族:宮崎泰景の娘
備考:天正年間(武田の滅亡後≒天正10・1582年以降と推測)に家康の側室となるが、子供はなし。
■於梅(おうめ)
天正14年(1586年)生~正保4年(1647年)9月11日没(享年62歳)
家族:青木一矩の娘
備考:家康の没後、本多正純(本多正信の子)と再婚する。正純が謀叛の疑いで失脚すると出家して単身で駿河へ移住。伊勢国山田で亡くなった。
■阿茶局(あちゃのつぼね)

雲光院(阿茶局)。画像:Wikipedia
弘治元年(1555年)2月13日生~寛永14年(1637年)1月22日没(享年83歳)
別名:須和(実名)、民部卿、一位局など
家族:飯田直政の娘
備考:最初は神尾忠重に嫁ぐが死別、のち家康の側室となる。戦場にも連れられ、小牧・長久手合戦の陣中で懐妊するも流産。以降、子供は産んでいない。
亡くなった西郷局に代わって徳川秀忠・松平忠吉を養育し、大坂冬の陣(慶長19・1614年)では豊臣方との和平交渉にも尽力している。
後水尾天皇より従一位を叙位されたため、一位局・一位尼などと称された。
■於牟須(おむす)
生年不詳~天正20年(1592年)6月18日没
家族:出自不詳(三井氏の娘?)
備考:はじめ同族とされる三井弥一郎に嫁ぐが、弥一郎は小牧・長久手の合戦で討死。幼子を連れて家康の側室となり、三人衆(特にお気に入りの側室三人。残り二人は茶阿局と阿茶局)に数えられるほど寵愛される。
家康の子を出産するも、難産のため母子ともに亡くなった。
■於松(おまつ)
生没年不詳
家族:出自不詳
備考:ほとんど謎の女性。『源流綜貫』によれば天正10年(1582年)に家康の落胤・松平民部を産んだとされるが、ちょうど家康が厄年であったため認知されなかったとの説も。
■三条氏(さんじょうし)
生没年不詳
家族:三条氏の娘
備考:ほとんど謎の女性。『源流綜貫』によると天正17年(1589年)に家康の落胤である小笠原権之丞を産んだと伝わる。ただし『御降誕考』だと権之丞は継室・朝日姫の侍女「大さい」が産んだという。
■終わりに
……大変お疲れ様でした。よく「家康は未亡人≒経産婦が好き」などと言われますが、出産経験があると子宝に恵まれやすいからなのでしょうね。

産めよ殖やせよ御家の為に(イメージ)
この際なので、家康の子供たちも一挙に並べておきましょう(個々の詳細説明はまたの機会に)。
長男:徳川信康………築山殿(瀬名)/家康17歳(永禄2・1559年生)
長女:亀姫……………築山殿(瀬名)/家康18歳(永禄3・1560年生)
次女:督姫……………西郡局(お葉)/家康23歳(永禄8・1565年生)
次男:結城秀康………小督局(お万)/家康32歳(天正2・1574年生)
三男:徳川秀忠………西郷局(お愛)/家康37歳(天正7・1579年生)
四男:松平忠吉………西郷局(お愛)/家康38歳(天正8・1580年生)
三女:振姫……………於竹/家康38歳(天正8・1580年生)
五男:武田信吉………於都摩/家康41歳(天正11・1583年生)
六男:松平忠輝………於茶阿/家康50歳(天正20・1592年生)
七男:松平松千代……於茶阿/家康52歳(文禄3・1594年生)
八男:平岩仙千代……於亀/家康53歳(文禄4・1595年生)
四女:松姫……………於久/家康54歳(慶長元・1596年生)
九男:徳川義直………於亀/家康58歳(慶長5・1600年生)
十男:徳川頼宣………於万/家康60歳(慶長7・1602年生)
十一男:徳川頼房……於万/家康61歳(慶長8・1603年生)
五女:市姫……………於梶/家康65歳(慶長12・1607年生)
番外:流産……………阿茶局
番外:死産……………於牟須
番外:松平民部………於松
番外:小笠原権之丞…三条氏
落胤説は他にも鈴木一蔵(母は旅籠の娘)、永見貞愛(母は小督局。秀康と双子?)、土井利勝(母は水野信元室)、挙句は孫の徳川家光(母は春日局)など様々。もはや真偽はともかく、子孫繁栄にかける情熱の凄まじさが感じられますね。
果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、側室や子供たちがどこまで登場・活躍するのか、予想してみるのも楽しそうです。
※参考文献:
- 黒田基樹『家康の正妻 築山殿 悲劇の生涯をたどる』平凡社新書、2022年10月
- 中村孝也『家康の族葉』碩文社、1997年4月
- 高柳金芳『江戸城大奧の生活』雄山閣、1969年1月
- 高柳金芳『新装版 史料 徳川夫人伝』新人物往来社、1995年1月
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