いつの時代も「白く美しい肌」にあこがれる人は多いもの。現代でも「美白」をうたった化粧品は数多くあり、人気を博しています。
「色の白いは七難隠す」ということわざがあるように、昔から肌の色の白さは重要視されてきました。

今回は、庶民にも化粧文化が広まった江戸時代の「おしろい」について、使われていた意外な原料をご紹介したいと思います。

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江戸時代のおしろいはなんと鉛(なまり)入り!?明治時代以降も利用され「慢性鉛中毒事件」発生


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■江戸時代以前は、化粧は一部の人のみの文化

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「玉屋内若梅」喜多川歌麿

日本における化粧の歴史は、古墳時代にさかのぼります。赤土などを塗っていましたが、これは美しさのためではなく宗教的・呪術的な意味合いの強いものでした。

飛鳥時代には大陸からおしろいなどが伝わり、美しさのための化粧がスタート。平安時代には日本独自の化粧スタイルになっていきます。

室町時代には化粧が身分などの社会的立場を示すものに。化粧にも細かなルールができはじめますが、上流階級だけの文化にとどまっていました。



■江戸時代の「おしろい」はなんと「鉛入り」

天下泰平の江戸時代には、化粧が庶民にも広まるように。「白(おしろい)、赤(紅をさす)、黒(お歯黒・眉)」の3色が基本となりましたが、なかでも女性たちが気を遣ったのが「おしろい」でした。

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美艶仙女香

しかしこの「おしろい」には「鉛(なまり)」が原料として使われていたのです。鉛入りのおしろいは当時手に入れやすく、伸びが良く落ちにくかったことから人気に。


当時、男性で化粧をするのは歌舞伎役者などに限られていましたが、そうした歌舞伎役者たちもこの鉛入りのおしろいを使っていたそうです。

■明治時代に起きた「慢性鉛中毒事件」

「鉛入り」のおしろいなど今では考えられないと思いますが、安全性に疑問が持たれるようになるきっかけとなった事件があります。それは、明治20年(1887年)に起きた「慢性鉛中毒事件」。

これは「鉛入り」のおしろいを使っていた歌舞伎役者が、演技中に足の震えが止まらなくなったというもの。後にそれが鉛中毒であったことが判明し、鉛の有毒性が知られるように。

西洋からの輸入品の影響などもあり、鉛入りのおしろいの製造は1934年に正式に禁止されるようになりました。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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