皆さんは稼いだ給与を、何に使っていますか?

「生活費だよ、決まっているでしょ」「ほとんど趣味に消えるかな」「ローンやリボ払いが苦しくて……」「実家に仕送りもしてあげなくちゃ……」など色々あることでしょう。

基本的には、自分で稼いだ給与を何に使おうが勝手です。
もちろん筆者もそうしています。

しかし、武士の給与(俸禄)は単なる生活費や遊興費ではなく、奉公のためにも使われるのが理想とされました。

今回は江戸時代の武士道バイブル『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』より、とある武士のエピソードを紹介したいと思います。

■侍は人を持つに極り候

一三二 山本神右衛門善忠 兼々申し候は、侍は人を持つに極り候。何程御用に立つべしと候ても、一人武篇はされぬものなり。金銀は人に借りてもあるものなり。人は俄になきものなり。兼てよき人を懇ろに扶持すべきなり。人を持つ事は、我が口に物を食うてはならず、一飯を分けて下人に食はすれば、人は持たるゝものなり。それ故、「身上通りに神右衛門程人持ち候人はこれなく、神右衛門は我に増したる家来を多く持ち候。」とその時分取沙汰これあり候なり。……

※『葉隠』第一巻より

山本神右衛門善忠(やまもと じんゑもんよしただ)は、かねがねこんな事を言っていました。




武士は食わねど高楊枝…武士道バイブル『葉隠』が説く、あるべき...の画像はこちら >>


何程御用に立つべしと候ても、一人武篇はされぬものなり(イメージ)

「武士の奉公は人を多く抱えることに尽きる。どれほど優秀であっても、自分一人だけで何でもかんでもお役に立てるものではない」

「カネはいざとなれば人から借りて用意できないこともないが、いざ人手が必要な時、急に用意はできないだろう。だから普段から人を抱え、大切にしておくべきなのだ」

「確かに、人を抱えれば自分の食い扶持は減ってしまう。しかし自分が腹を空かせてでも飯を分けてやってこそ、相手との絆は深まるものだ」

「そういう努力をしてきたからこそ、皆から『神右衛門ほど俸禄を有効に活用している者はなく、彼以上に優秀な家来を多く抱えている』と評価されておる」

……との事です。この善忠とは『葉隠』口述者である山本常朝(じょうちょう/つねとも)の父。その背中を見て、大いに薫陶を受けたことでしょう。

奉公を重ね、その対価として得た俸禄は自分のために使いたいところだけど、あえてこらえて人を抱えるのです。まさに「武士は食わねど高楊枝」の精神ですね。

■終わりに

財産は自分の贅沢に浪費するのではなく、少しでも分け合って助け合う精神が、いざ有事の団結力を生みました。主君に対して、ひいては社会のためにこれ以上の奉公はありません。

武士は食わねど高楊枝…武士道バイブル『葉隠』が説く、あるべき給与の使い方


扶飢済困 仗義疎財(飢えるをたすけて困れるをすくい、義によりて財を疎む)の精神が必要(イメージ)

もちろん現代社会では人を召し抱えることはあまりないので、別の形(例えば寄付や公益事業への投資など)で活かすことが考えられます。

とは言っても現実には生活が苦しい中、なかなか理想通りにはいきませんが、給与を手にしたら今回のエピソードを少しだけ思い出したいものです。


※参考文献:

  • 古川哲史ら校訂『葉隠 上』岩波文庫、2011年1月

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