第19回放送「お手付きしてどうする!」で初登場したと思いきや、あっさり退場してしまった“お万”の方(演:松井玲奈)。恐らく再登場はないでしょう。


ところで、徳川家康(演:松本潤)には20人以上とも言われる側室がいたのですが、実は“お万”と呼ばれた女性がもう一人いました。

余談ながら、大河ドラマに登場した彼女は於古茶(おこちゃ)、於故満(おこま)などと呼ばれていたと言います。最初からそっちの名前を採用すればいいのに、紛らわしいですね。

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今回は“もう一人のお万”を紹介。果たして彼女は、どのような生涯をたどったのでしょうか。



■家康の十男頼宣・十一男頼房を生む

女子

蔭山長門守氏広が養女となり、東照宮の御側近くつかへたてまつり、はじめ萬と称し、薙髪して養珠院と號す。紀伊大納言頼宣卿水戸中納言頼房卿の母堂たり。

※『寛政重脩諸家譜』巻五百三十 平氏(良文流)三浦

江戸時代の系図集『寛政重脩諸家譜』によると、お万は房総半島の戦国大名・里見氏に仕えた三浦頼忠(みうら よりただ。正木頼忠)の娘として誕生しました。

せっかくなので、兄弟妹達たちも紹介しましょう。

兄・三浦直連(なおつら。十郎)
兄・三浦為春(ためはる。
勝兵衛)
【お万】
弟・糟屋軍次郎(かすや ぐんじろう。のち正木軍次郎)
弟・正木康長(まさき やすなが。左馬允)
弟・正木時明(ときあき。左京亮)
弟・三浦定利(さだとし。勘助)
妹・沼間平右衛門清許(ぬまま へいゑもんきよもと)室

※『寛政重脩諸家譜』巻五百三十 平氏(良文流)三浦

やがて蔭山氏広(かげやま うじひろ。長門守)の養女となったお万は家康の側室として召し抱えられます。

徳川家康の側室「お万の方」は二人いた!もう一人のお万(養珠院)とは【どうする家康】


徳川頼宣(左)と徳川頼房(右)。画像:Wikipedia

慶長7年(1602年)3月7日に家康の十男である長福丸(ちょうふくまる。徳川頼宣)、翌慶長8年(1603年)8月10日には十一男となる鶴千代(つるちよ。徳川頼房)を生みました。

この徳川頼宣(よりのぶ)は後に御三家の一つ・紀州藩の祖となり、徳川頼房(よりふさ)は同じく水戸藩の祖となって徳川宗家を支えます。

後に家康が亡くなると出家して養珠院(ようじゅいん。
養珠院妙昭日心)と号し、承応2年(1653年)8月22日に世を去りました(享年は74歳とも77歳とも)。

■終わりに

以上、ごくざっくりと“もう一人のお万”養珠院を紹介してきました。

ちなみに彼女の実家である三浦一族は、鎌倉幕府の御家人であった三浦義連(よしつら。佐原義連、三浦義澄の末弟)の末裔とされています。

【三浦氏略系図】

義連-盛連-盛時-頼盛-時明-時継-高継-高通-高連-高明-時高-高救(たかひら)-義同(よしあつ。三浦道寸)-時綱-時忠-時通-(※)頼忠-お万-徳川頼宣・頼房……

※『寛政重脩諸家譜』巻五百三十 平氏(良文流)三浦

恐らく大河ドラマには登場しないでしょうが、同じ演者かつ同じ役名の“お万”として登場したら面白いかも知れませんね。

他にも家康の側室はたくさんいるので、また改めて紹介したいと思います。

※参考文献:

  • 『寛政重脩諸家譜 第三輯』国立国会図書館デジタルコレクション

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