松平信康(演:細田佳央太)のもとへ嫁いできたものの、何かにつけて父・織田信長(演:岡田准一)の権威をふりかざす五徳(演:久保史緒里)。

姑の瀬名(演:有村架純。
築山殿)が諫めても聞く耳もたず、それどころか「無礼者!」と逆ギレする始末でした。

天下人の娘たる自負がそうさせてしまうのでしょうが、NHK大河ドラマ「どうする家康」では瀬名の引き立て役として、嫌なキャラに描かれています。

この五徳と瀬名&信康の対立が後に悲劇「築山殿事件」を招いてしまいました。今回はそのキッカケとなった五徳の書状を紹介。

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、この説が採用されるのでしょうか。採用されるとしたら、どのようにアレンジされるのでしょうか。

■瀬名は嫁いびり&不倫、信康はサイコパスで武田と内通?

瀬名・信康と対立する五徳。悲劇「築山殿事件」を招いた信長への...の画像はこちら >>


書状をしたためる五徳姫(イメージ)

五徳は信長に対して、こんな書状を送りました。

一 築山殿悪人にて三郎殿と吾身の中をさまさま讒して不和し給ふ事

一 我身姫ばかり二人産たるは何の用にか立ん大将ハ男子こそ大事奈れ妾あまた召て男子を設け給へとて築山殿すゝめにより勝頼が家人日向大和守が娘を呼出し三郎殿妾にせられし事

一 築山殿甲州の唐人医師減敬といふ者と密会せられ剰へ是を便とし勝頼へ一味し三郎殿を申すゝめ甲州へ一味せんとする事

一 織田徳川両将を亡し三郎殿には父の所領の上に織田家所領の国を参らせ築山殿をば小山田といふ侍の妻とすべき約束の起請文書て築山殿へ送る事

一 三郎殿常々物あらき所行おほし我身召仕の小侍従と申女を我目前にて刺殺し其上女の口を引さき給ふ事

一 去頃三郎殿踊を好みて見給ひける時踊子の衣裳よろしからず又おどりさまあしきとて其踊子を弓にて射殺し給ふ事

一 三郎殿鷹野に出給ふ折ふし道にて法師を見給ひ今日得物の奈きハ此法師に逢たるゆへなりとて彼の僧が首に縄をつけて力革とかやに結付馬をはせて其法師を引殺し給ふ事

一 勝頼が文の中にも三郎殿いまだ一味せられたるにはいはず何ともして勧め味方にすべしとの事に■へば御由断ましまさバ末々ハ御敵に組し■べきと存じ態々申上■事

※『後風土記巻第十六』「築山殿凶悍 付 信康君猛烈の事」

以下、五徳の言い分を意訳します。



(1)築山殿はすごく意地悪で、何かにつけて私と三郎殿(信康)の仲を引き裂こうと、いつも三郎殿に悪口を吹き込むのです。

(2-1)築山殿は私を「女の子ばかり二人生んだって、何の役に立つのですか。武家の妻は男を生まねば存在価値がありません」といびるのです。

(2-2)そればかりか「こんな役立たずでは埒があかないので、側室を持って男を生ませなさい」と、勝手に武田の家臣・日向大和守(ひなた やまとのかみ)の娘を連れ込んで側室にしてしまいました。


(2-3)正室たる私の同意もなく、いくら姑だからってあんまりじゃないですか?というより側室を選ぶに事欠いて、敵方の人間とよしみを結ぶなんて何を考えているんでしょうか。

(3)築山殿は武田家に出入りしている唐人の医師・減敬(げんけい)と不倫しているんですよ。だから武田家に通じるよう、三郎殿に謀叛をそそのかしているのです。

(4)三郎殿を武田の先鋒として織田・徳川両家を滅ぼした暁には、三郎殿に徳川領に織田領を加えて与え、築山殿は小山田なる者と再婚するよう約束しているとか。

(5-1)三郎殿もひどいんです。いつも乱暴で、私に仕えていた侍女・小侍従(こじじゅう)を私の目の前で刺し殺し、彼女の口を引き裂いたのです。

(5-2)いったい彼女が何をしたのでしょうか。殺すほどの咎があったにせよ、主人たる私の同意もなくいきなり手を下すなど、乱暴にもほどがあります。

(6)近ごろ三郎殿はいかがわしい踊りを好むようになって、見物に行った際に「アイツの衣装が気に入らないし、踊りも下手だ」と踊っていた一人を弓で射殺してしまいました。

(7)またある時、鷹狩りで獲物がとれずムシャクシャしていたそうで、道で見かけたお坊様を「今日の不猟はコイツのせいだ!」と馬で引きずり殺してしまったのです。何という罰当たり!私は恐ろしくてしょうがありません。

(8)甲斐の武田勝頼からしばしば書状が届くのですが、そこには「早く三郎殿を味方につけよ」と催促ばかり。
父上様がた、どうかご油断あそばされぬよう、お願い申し上げます。

……いやはや、もしこれらが事実であればとんでもない話ですね。

瀬名・信康と対立する五徳。悲劇「築山殿事件」を招いた信長への告げ口がこちら【どうする家康】


忠次に事の次第を尋ねる信長(イメージ)歌川芳員筆

信長も、父親として娘の身が案じられてなりません。が、古来「一方聞いて沙汰するな」とはよく言ったもの。

そこで信長は、徳川家臣団の中でも日ごろから親しくしている酒井忠次(演:大森南朋)に尋ねました。

「これこれしかじかの書状が届いたのじゃが、果たしてまことじゃろうか?」



忠次は「それらの件については、それがしも承知しておりますが、浮足立ってはなりませぬ(某も一々承りぬる事どもなり敢て浮たる事にあらず)」と回答します。

デマに踊らされてはならない。あるいは「何を今さら慌てておいでか。もう皆とっくに知っていますぞ」というニュアンスだったのでしょうか。

「仕方あるまい。ただちに両名を処刑するよう、徳川殿へお伝えせよ(此うへは力なし速やかに失はるべき旨徳川殿に申べし)」

どうやら信長は忠次の微妙な回答をもってクロ(武田と通じている)と判断したようです。

かくして伝言を受けた徳川家康(演:松本潤)は天正7年(1579年)8月29日に瀬名を処刑。
続いて9月15日に信康へ切腹を命じたのでした。

■終わりに

最愛の妻・瀬名と将来を託したかった嫡男・信康を喪ってしまった家康。悲しみに暮れる中、ちゃんと弁護してくれなかった忠次をたいそう恨んだそうです。

しかし実際にはただ五徳の書状だけではなく、瀬名と信康が武田と内通していた証拠が出てきてしまったためと考えられます。

ずっと対武田の楯とされ続ける徳川家を案じた信康が、長篠合戦で敗れたとはいえ、いまだ強大な勝頼に寝返ろうと考えた可能性も否定はできません。

そうでもなければ、さすがに信長も「瀬名と信康を殺せ」とまでは言えなかったでしょう。もちろん家康も殺しはしなかったはずです。

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、瀬名と信康をどのように処するのか、まさに「どうする家康」と言えるでしょう。

※参考文献:

  • 成島司直『改正三河後風土記 上』国立国会図書館デジタルコレクション
  • 本郷和人『徳川家康という人』河出書房新社、2022年10月

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