■南蛮由来にして和菓子

皆さんもよくご存じの和菓子・カステラの歴史をたどってみましょう。

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カステラは、ポルトガルから伝わってきた南蛮由来の菓子です。
一方で日本で独自に発展した部分も大きく、私たちにとって馴染み深いあのお菓子はもはや原型をとどめていないと言っても過言ではありません。

よって、どことなくケーキと似た趣のあるカステラを、和菓子に分類するのは違和感がある人もいるかも知れません。実際、カステラケーキと表記されることもあります。しかしカステラは、れっきとした和菓子です。

カステラの起源は、中世ヨーロッパ、イベリア半島中央部にあったカスティーリャ王国にまで遡ります。

もともとはボーロに似た菓子パンで、スペイン語の「カスティーリャ」がポルトガル語で「カステーラ」と発音され、これが日本でカステラとして伝わったのです。

ちなみに、カステラの起源についてはスペインの焼き菓子「ビスコチョ」 (Bizcocho)だとする説や、ポルトガルの焼菓子「パン・デ・ロー」(pão de ló)だとする説もあります。

■長崎から全国へ

さて、日本のカステラの本場は、言うまでもなく長崎県です。同県では16世紀に港を開いてポルトガルとの貿易を始めており、その交易の中でカステラという菓子も伝わってきたのです。そのような経緯もあり、カステラはまず長崎で発展しました。

先述した通り、もともとのカステラは、現在私たちがカステラと言われて思い浮かべるあの形態とは全く異なっていました。

私たちにとって馴染み深いあのカステラの味わいは、長崎の菓子職人が独自に研究・改良を重ねて生みだされた味だと言えるでしょう。


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ひな祭りで食べられる長崎の伝統菓子「桃カステラ」

長崎市の本大工町に初代山口屋貞助が店を構え、砂糖漬けやカステラを作り始めたのは1681年(天和元年)のこと。

その後、カステラが日本中に広まったのは、17世紀後半になってからです。それまでは主に長崎で盛んに作られていたカステラが、評判の長崎土産として全国へと伝わっていきました。



■他の食べ物との関係も

ちなみに、1719年(享保4年)に書かれた西川如見の『長崎夜話草』では、長崎土産の南蛮菓子の一種としてカステラが挙げられています。この頃にはもう著名な土産物品だったのでしょう。

実際、江戸時代中期頃にはカステラは江戸城でも日本の菓子として認知されており、勅使の接待などで提供されていたようです。おそらく当時は高級な和菓子として扱われていたのでしょう。

その後は、さらに日本国内の各地域で特徴的なカステラが開発されていきました。会津若松の会津葵、愛媛県のタルト、島根県の八雲小倉、長崎市の桃カステラなどを思い浮かべる人も多いでしょう。

またシベリアケーキもカステラの発展形ですね。さらに台湾にも台湾カステラが存在しますが、これは日本による統治時代に伝わったレシピが台湾人好みに改良されたものと言われています。

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しっとりやわらかい台湾カステラ

また、ちょっと変わったところで、岡山県(主に倉敷市)の鮮魚カステラというのもあります。
カステラの概念が菓子以外の分野にも影響してるのは興味深いですね。

他の分野への影響ということで、これは最後にトリビアになりますが、お正月に私たちがよく食べる伊達巻のルーツもカステラと関係があります。実は「カステラ蒲鉾」という料理が伊達巻のルーツなのです。

さらに言えば、伊達巻はなんとロールケーキをヒントにして開発されたとも言われています。これについては稿を改めていずれ解説しますが、一見無関係に見えるこれらの食べ物が実は江戸時代に深い関わりを持っていたというのは興味深いですね。

参考資料
THE GATE
Cake.jp マガジン



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