モンブランは、栗のペーストと生クリームを組み合わせた、皆さんもよくご存知のスイーツです。しかしその起源や、日本でどのように発展したのかという歴史はあまり知られていません。
モンブランというのは、もともとはフランスとイタリアの国境にあるヨーロッパ最高峰の山のことです。その山の雪をイメージした、マロングラッセ(栗の砂糖漬け)をペースト状にしたクリームを使用したお菓子がモンブランの原型です。
フランス・シャモニーから眺めるモンブラン
このお菓子は、栗が豊富に採れる地域であるサヴォワ地方やピエモンテ州の家庭菓子として古くから親しまれていました。フランスやイタリアでは、栗のペーストに泡立てた生クリームを添えてよく食べられています。
■モンブランの生みの親・迫田千万億
日本にモンブランが伝わったのは1933年のこと。東京・自由が丘の「MONT-BLANC(モンブラン)」初代店主である迫田千万億(さこた・ちまお)が、フランスでモンブランの原型となったこの菓子を知り、許可を得て日本で作り始めたのがきっかけでした。
彼は当地の菓子を模倣するだけでなく、日本人の好みに合わせてアレンジを加えます。カステラを土台に使って栗のペーストを甘露煮にし、持ち帰りできるガトー(焼き菓子)に仕上げたのです。日本で定番となった黄色いモンブランは、こうして生まれたのです。

王道のモンブランケーキ
迫田は山が好きだったそうで、1933年にフランスのシャモニー地方を旅した際にはモンブラン峰の美しさに感動したという逸話も残っています。
さらに迫田は、彼のオリジナルと言って差し支えないモンブランを、あえて商標登録しませんでした。
■その後のモンブランの発展
彼はは当時の碑文谷駅(現在の学芸大学駅)近くに洋菓子店「MONT-BLANC(モンブラン)」を開業し、その後、1945年に自由が丘に移転しています。一店舗主義を貫き、支店を出さないことでお客との信頼関係を築いたとされています。

現在も自由が丘で営業している「MONT-BLANC(モンブラン)」(Wikipediaより)
こうして見ていくと、迫田千万億という人はモンブランケーキ作りやケーキの普及発展について強い信念を持っていたことが分かりますね。
その後も、モンブランはさまざまな種類のものが作られるようになりました。例えば、1984年にはフランスの「アンジェリーナ」が茶色いモンブランを日本で発売しています。これはフランス風のマロンクリームを使ったもので濃厚な味わいが特徴です。
また、日本では抹茶やかぼちゃなどの和風のモンブランも人気があります。
日本のモンブランは、海外から入ってきたものを日本人好みにアレンジして作られたものです。その結果、日本独自の多彩なモンブラン文化が生まれました。そのルーツはヨーロッパ最高峰の山と迫田千万億にあると言えるでしょう。
参考資料
恵那川上屋のスイーツコラム
パティシエントマガジン
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan