■高級品だったかき氷

かき氷の歴史はとても古く、平安時代にまでさかのぼります。『枕草子』には金属製の器に氷を刃物で削った「削り氷(けずりひ)」に甘葛(あまかづら)という甘いシロップをかけたものが「あてなるもの」として紹介されています。


この「削り氷」が現代のかき氷の原型と言われています。

しかし、当時は冬に雪や氷を氷室で保存するしかなく、「削り氷」は貴族しか口にできない高級品だったようです。

江戸時代になると、氷を保存する技術が発達しました。地下水の気化熱によって、気温が外気温よりも低くなる穴や部屋を利用した氷室という施設で、氷を保管するようになったのです。

かき氷はいつから食べられていた?意外と長いその歴史とポテンシ...の画像はこちら >>


氷室を守護するために氷の神を勧請して創祀された氷室神社

氷室は日本各地に存在しており、その構造や規模は地域によって異なっていました。通常は朝廷や将軍家などの権力者のために管理されており、庶民にはあまり関係がなかったようです。

よって、かき氷も相変わらず将軍家や大名、豪商などの特権階級だけが楽しめるものにとどまっていました。当時は砂糖水や小豆餡などをかけて食べていたとか。

氷室に保存されていた氷は、食品の保存や医療、納涼などにも利用されていたようです。

ちなみに、かき氷の語源は「欠き氷」だと言われています。これは、冬に採取した天然の氷を氷室で保存し、夏に「欠けた氷」を食べていたからです。

しかし、この呼び方は「欠」が不吉なイメージを持つことから、平仮名で「かき氷」と表記するようになりました。




■製氷機の登場

さて、現代の私たちは製氷機によって氷を簡単に作ったり保存したりできますが、反対に言えば製氷技術が発達しなければ、いつまでも氷室のような氷保存の技術に頼るしかなかったということです。

つまり、近代以降のかき氷の歴史をたどるためには、製氷機についても知っておく必要があります。

製氷機が開発され、人工的に氷を作ることができるようになったのは明治時代です。製氷機を初めて購入した日本人は、かの松平春嶽だとされています。1870年(明治3年)に彼は外国からエーテル式の製氷機を購入しました。

かき氷はいつから食べられていた?意外と長いその歴史とポテンシャルの高さ【前編】


松平春嶽像

しかし使い方がわからず放置していたところ、福沢諭吉が熱病にかかり、塾生たちが松平から借り出して大学東校の教授だった宇都宮三郎の元で氷を作ったのです。

これが、日本で初めて人工的に氷が作られた瞬間だと言われています。



■少しずつ広まっていく「かき氷」

そこからさらに発展して、日本で初めて製氷会社が設立されたのは1883年(明治16年)のことです。

当初は、東京製氷会社という会社がアメリカから輸入したエーテル式の製氷機を使っていましたが、その後渋沢栄一や西川虎之助らが青山製氷所を設立し、アンモニア式の製氷機を導入。天然氷や輸入氷と競合したものの、次第に市場を拡大していきます。

こうして製氷機の使用が一般的になるにつれ、日本の食文化は大きく変化していきます。最も大きな影響を受けたのがかき氷やシャーベットなどのデザートでした。


かき氷はいつから食べられていた?意外と長いその歴史とポテンシャルの高さ【前編】


こうした製氷技術は、食品や医薬品などの保存・運送にも重要な役割を果たします。さらに、水産業や酪農業などの発展にも欠かせないものとなりました。

しかし、かき氷が現代のように一般的なものになるには、まだ必要なものがあります。それはかき氷機(氷削機)です。

【後編】では、かき氷機の誕生から、世界へかき氷が発展していった経緯を見ていきましょう。

【後編】の記事はこちらから

参考資料
四季の美
毛呂山町HP

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

編集部おすすめ