■生まれは「五摂家筆頭」の近衛家

戦前に活躍(?)した近衛文麿は家柄よし、見た目よし、頭もよしと三拍子揃った人物で、首相には二度指名され内閣を三度組閣しています。「大物政治家」と言って差し支えないでしょう。


しかし彼は、日本が泥沼の戦争に足を踏み入れたそもそものきっかけを作った、日本憲政史上突出した「負の大物」でもあります。今回はその人物像について探ってみましょう。

彼が生まれたのは1891(明治24)年。五摂家筆頭の近衛家の長男として生を受け、父親は貴族院議長も務めた公爵・近衛篤麿でした。

五摂家というのは代々関白に任ぜられる家柄のことで、近衛家はその中でも最も位が高いものでした。

青年期の文麿は京都帝国大学に在学。大学時代にはマルクス主義者となる直前だった河上肇から薫陶を受け、哲学者の西田幾多郎にも関心を寄せて若干の関わりを持つなど勉学に励む秀才だったといいます。

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若き日の近衛文麿(Wikipediaより)

学生時代の彼のユニークなエピソードに、後に妻となる千代子に一目惚れして学生結婚したというのがあります。第一高校時代の近衛は、華族女学校に通っていた千代子を電車内で見かけて、その美貌に一目惚れして猛アタックし結婚しているのです。

ちなみに近衛の次女の温子は、近衛の秘書の細川護貞と結婚しており、その二人の間に生まれたのが後に第79代首相となる細川護熙です。

■政治の世界へ

さて、近衛文麿が政治と関わるようになったのは、京都大学在学中に世襲議員として貴族院の議員になってからでした。また、大学卒業後は内務省に在籍し、貴族院では立憲政友会の仲間と「憲法研究会」を設立して改革に取り組んでいます。


そして1933(昭和8)年には42歳で貴族院議長に就任。彼の国民的人気が急速に高まっていったのはこの頃からで、次期首相候補の下馬評にも上るようになります。彼はいわゆる「聞き上手」で、周囲に多くの人材が集まり、国民的人気も抜群でした。

彼に期待が寄せられたのは、西園寺公望の後で旧公家からは有能な人材が出ていなかったという事情もあったようです。

それでも、まだ40代前半という若さで首相になること普通は考えられません。しかし1936年、二・二六事件で当時の岡田啓介内閣が総辞職すると、元老である西園寺公望は近衛に首相をやるよう大命を下します。

日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【前編】


1936年、貴族院本会議にて勅語を朗読する近衛(Wikipediaより)

ただ近衛はこの時、健康を理由に固辞。さらに翌年の1937年、軍人上がりの首相たちが次々に就任と退陣を繰り返した果てに、近衛は再度後継首班として指名を受けます。これを受けて第一次近衛文麿内閣が誕生。この時、彼は弱冠45歳でした。



■満州事変勃発

名門である近衛家の出身で年若く、おまけに長身でハンサムな近衛が組閣するとあって、国民・政界・軍部・さらには左翼陣営までもが彼を歓迎したといいます。

近衛は「各方面の相互摩擦の緩和に重点を置き、真に挙国一致の協力を」と謳って颯爽と政界に登場しました。


彼はもともと特定の政治勢力がバックについている立場ではなかったので、ラジオを活用してアピールするなど、大衆の人気を最大限に利用する方策を採っています。

日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【前編】


1937年6月、第一次近衛内閣の閣僚たち(Wikipediaより)

しかし、彼が組閣してから一カ月ほど経った七月七日に盧溝橋事件が勃発しました。満州事変の始まりです。ここで、近衛内閣は最初は「不拡大」方針をとって、中国との戦いを広げないことにします。

しかしここで、近衛の優柔不断な性格が災いしました。一度は不拡大の方針をとったはずなのに、杉山元陸相からの要請を受けて中国へ軍隊を派遣することに決めたのです。

実はこの頃、現地では停戦協定が結ばれていました。中国側からすれば日本は矛盾した対応をしていることになります。中国政府は近衛の派兵方針に怒りました。

ここで近衛が再び「不拡大」方針をとればよかったのですが、近衛は陸軍の対中強硬策にずるずると引っぱられる形になってしまいます。

続きは【中編】【後編】に分けて説明しましょう。

【中編】はこちらから

参考資料
八幡和郎『歴代総理の通信簿』2006年、PHP新書
宇治敏彦/編『首相列伝』2001年、東京書籍
サプライズBOOK『総理大臣全62人の評価と功績』2020年
倉山満『真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任』2017年、宝島社
倉山満『学校では教えられない歴史講義 満州事変』2018年、KKベストセラーズ
井上寿一『教養としての「昭和史」集中講義』2016年、SB新書

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