徳川家康(とくがわ いえやす)の天下取りを支えた名臣の一人、榊原康政(さかきばら やすまさ、小平太)。

数々の戦場で武勲を重ね、立身出世を果たしました。
しかし若いころは身分が低く貧しかったため、具足も満足に用意出来なかったそうです。

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小牧・長久手の合戦で秀吉を追い詰める榊原康政。史実ではないが、名場面として人々に愛されてきた。楊洲周延「小牧山ニ康政秀吉を追フ」

NHK大河ドラマ「どうする家康」では、何だかその辺のガラクタを身体中にくっつけて「ちぎれ具足」と笑っていた場面がありました。

果たしてこの「ちぎれ具足」は本当だったのでしょうか。調べてみたら、その元ネタが『名将言行録』にあったのです。

そこで今回は、榊原康政のちぎれ具足エピソードを紹介したいと思います。

■家康の直参抜擢祝いに、仲間の神谷金七より

……康政、初め酒井将監が小姓たりしを、家康貰ひし時、水野信元の家人神谷金七、常に念比に交はりし故申候は、其方こと徳川家へ貰はれ給ふこと、能き仕合なり、小身人なれば、具足も持たれ間敷候、笑止に存ずる間、是を餞別に参らするとて、具足の少々継離(ちぎれ)たるを一領贈りたり。其以後、康政此具足を着て高名あり、夫より嘉例として、出陣の時は、其具足を真先に持たせしとぞ。……

※『名将言行録』巻之五十五 ○榊原康政

榊原康政(杉野遥亮)が初陣で着ていた「ちぎれ具足」は実在した?『名将言行録』を読んでみる【どうする家康】


榊原康政(画像:Wikipedia)

榊原康政(以下、小平太)ははじめ、三河上野城主の酒井将監(さかい しょうげん。酒井忠尚)に小姓として仕えていました。

酒井将監は松平元康(まつだいら もとやす。
若き日の徳川家康)に仕えていたので、小平太は家臣の家臣。すなわち陪臣でした。

それがある日、元康の目に止まって抜擢されることとなります。

「松平家の直参(じきさん。主君に直接仕える家臣。直臣)、おめでとう。大出世だな」

小平太を祝ったのは神谷金七(かみや きんしち)。元康の伯父・水野信元(みずの のぶも)に仕えており、日頃から小平太とは仲良しでした。

「ありがとう。将監様にはお世話になったけど、これからますます奉公に励んで、送り出して下さった御恩に報いるつもりだ」

喜ぶ小平太。金七も、我がことのように嬉しそうです。そして金七は、奥から何やら取り出しました。




「そなたにこれをやろう」

見ると古びた具足が一領。永年使い込んだらしく、所々ちぎれたり破れたりしています。

榊原康政(杉野遥亮)が初陣で着ていた「ちぎれ具足」は実在した?『名将言行録』を読んでみる【どうする家康】


さっそく着てみた小平太。なかなかカッコよく似合っている(イメージ)

「いささかボロいが、ないよりはマシであろう。主君のお傍に仕えるのに、具足もないでは戦さ場で笑い者になってしまうぞ」

ここで「くれるならもっと良い物を……」と思ってしまうかも知れません。しかし具足は誰でも気軽に入手出来るものではなかったのです。

きっと金七も、どうにかして小平太のために少しでもよい具足を手に入れてやろうと駆けずり回ったことでしょう。

「ありがとう、ありがとう!」

金七の心意気に感じた小平太は、このちぎれ具足を着て数々の戦さ場へ出陣。武功を重ねたのでした。

■終わりに

榊原康政(杉野遥亮)が初陣で着ていた「ちぎれ具足」は実在した?『名将言行録』を読んでみる【どうする家康】


小平太のために、具足を用意してあげた金七。たぶん可能な限りは直してあげたのだろう(イメージ)

やがて立身出世を果たし、後世「徳川四天王」に数えられるほどの重臣となった小平太。

※ちなみに他の三人は酒井忠次(さかい ただつぐ。
左衛門尉)・本多忠勝(ほんだ ただかつ。平八郎)・井伊直政(いい なおまさ。兵部)。

もちろん具足も新調されましたが、初陣で着たちぎれ具足も欠かさず持って行きました。

常に仲間の想いを忘れず、慢心することの無いように。もしかしたら、小平太が掲げた「無」の馬印には、そんな思いが込められていたのかも知れませんね。

徳川四天王・榊原康政の旗印「無」に込められた意味は?その公正無私な生き様を見よ【どうする家康】
榊原康政(杉野遥亮)が初陣で着ていた「ちぎれ具足」は実在した?『名将言行録』を読んでみる【どうする家康】


NHK大河ドラマ「どうする家康」では、徳川家の重臣となって立派な具足に身を包んでいる小平太(第33回放送時点)。きっと金七も喜んだのではないでしょうか。

ガラクタ具足も面白くはありましたが、金七との熱い友情エピソードも演じて欲しかったですね。

ちなみに『名将言行録』は江戸時代に編纂された逸話集であり、史実性についてはあまり高くありません。しかし今日伝わっている戦国武将のイメージは多くがこうした文献や伝承に依拠するものですから、それらを全否定したら無味乾燥なものになってしまうでしょう。

また「彼ならやりかねない」「彼ならこんな事もあったかも知れない」など一定の説得力によって伝えられたものですから、人々に愛された通俗的イメージも、大切にしたいものです。


※参考文献:

  • 岡谷繁実『名将言行録(七)』岩波書店、1944年8月

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