そんな徳川家康ですが、江戸幕府をつくっただけではありません。さまざまな功績がありますが、実は「鉛筆」を日本で最初に使った人物だとも言われています。今回は、そんな鉛筆と家康の関係について迫ってみたいと思います。
■そもそも鉛筆はイギリス生まれ
みなさんは、そもそも鉛筆がどこでどのように誕生したか知っていますか?世界史上において、さまざまな分野でリードしてきたイギリスで鉛筆が生まれました。
エリザベス1世の治世下であった1564年、ボローデル山という場所から、黒い物質が採れ、試しにそれで文字を書いてみると、きちんと紙に残ることが判明。これがいわゆる鉛筆の芯になる黒鉛だったのです。
最初は黒鉛をそのまま手に持って書いていましたが、手が汚れることから木に黒鉛を挟むなどの工夫が行われ、現在の鉛筆の原型がつくられるようになりました。
■徳川家康に伝わったのは約400年前
イギリスでの鉛筆の発明が1560年代であり、徳川家康に鉛筆が伝わったのが400年くらい前と言われています。発明から家康に伝わるまでそれほど時間が経っていないことがわかりますね。
ただし、記録が残っていないため、どのようにして家康に伝わったのかは分かっていません(ヨーロッパのスペイン、またはその属領であったメキシコかフィリピンから献上されたのではないかという説があります)。
■家康が使った鉛筆はどんなものだった?
家康が使ったとされる日本最古の鉛筆は、静岡県の久能山東照宮の境内にある博物館に残っています。鉛筆の芯はメキシコ産の黒鉛、軸の木はアカガシでした。
なお、この博物館には家康が持っていた舶来品がいくつも収蔵されています。
徳川家康というと、江戸幕府、江戸幕府というと鎖国のイメージが強いですが、メガネやコンパスなどの舶来品も持っていました。また、1600年に日本に漂着したイギリス人の航海士・ウイリアムアダムスからもさまざまな話を聞いたと言われています。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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