母親の身分が低かったため、父から認知してもらえず、幼少時代を過ごした於義伊。
今回はそんな秀康が父・家康の暗殺計画を知った時のエピソードを紹介したいと思います。果たして彼は、どんな対応を見せたのでしょうか。
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■秀吉亡き後、命を狙われる石田三成を護衛
時は慶長3年(1598年)8月18日、天下人・豊臣秀吉が世を去りました。享年62歳。偉大なるカリスマの死は政権内に激震を走らせ、各所で不穏分子が蠢動します。

石田三成(画像:Wikipedia)
その一つが、政権の実務を担っていた五奉行の一人・石田三成(治部少輔)に対する暗殺計画。彼は秀吉時代の汚れ役を一手に引き受け、それがために多くの恨みを買っていたのでした。
これを知った五大老の一人・徳川家康は血気に逸る者たちを説得します。
「確かに石田殿も、行き過ぎたところがあったかも知れない。なれば職を解いて、しばらく居城で謹慎させてはどうか」
家康がそう言うなら……ということで一命を取り留めた三成。
「ならば、三河守に送らせよう」
勇猛果敢で知られる家康の次男・結城秀康(三河守)が手勢を率いて護衛を務め、それで三成は無事に佐和山城へ帰り着いたということです。
……太閤薨し給ひし後、宗徒の大名石田治部少輔三成を討んとす、徳川殿人々を制し玉ひ、三成職解て、おのが城に籠居すべきに極る、猶路の辺おぼつかなしとて、守殿して送られしかば、三成難なく近江国佐和山の城に入る、……
※『藩翰譜』第一 越前
■大坂城で発覚した家康暗殺計画。秀康の対応は?

伏見城で留守を守る結城秀康(イメージ)
そんな事があって、同年9月9日。家康は重陽の節句(菊の節句)をお祝いするため、大坂城へ参りました。
「徳川殿を生かしておけば、必ずや豊臣家に仇なす存在となろう」
「左様。無防備な今の内に、討ち取ってしまおうではないか」
そんな企みを聞きつけた者がいて、大急ぎで伏見城を守備していた秀康に通報します。
「何だと、それは一大事!」
通報を受けた徳川家臣の伊奈昭綱(伊奈図書)は、さっそく家康を護衛させるために人数を派遣したのでした。
……此年九月、徳川殿重陽の賀をせられんが為に、大坂に至らせ玉ふ、大坂の家人相謀て、うしなひ申さんとの結構ありと、告け申ものあり、此時守殿伏見の城に留守せさせ給ふ、伊奈図書して、御家人等盡く参らせらるべきよし仰せつかはさる、……「我らが殿の一大事!」「それ急げ!」
※『藩翰譜』第一 越前
家臣たちは話しを聞くもとりあえず、鞭と鐙を合わせて(必死に馬を駆り立てる表現)大坂城へと駆けつけます。
「申し上げます!大番(親衛隊)の六部隊中、二部隊がすでに出立。残る四部隊も支度が出来次第、出立いたします!」
駆け込んだ伝令の報せを聞いて、秀康は命じました。
「待て。
「殿の救援には向かわせぬおつもりか?」
いぶかしむ昭綱に、秀康は説明します。
「よいか。もし父上の武運が尽きておるなら、たとえ何百万騎の救援を差し向けようと無駄になる。逆に父上の武運が続くのであれば、いかなる死地も必ずくぐり抜けよう」
「しかし……」
「もし父上が敵に討たれた場合、ここ伏見は間違いなく標的になる。その時、次の手を打つためにも大番の軍勢は留めおかねばならぬ」
つまり「もし家康が討たれたら、それは運が尽きたまでのこと。ならば少しでも手元に兵力を残し、次の事態に備えよう」という構えに他なりません。
大坂より兵を差し向けられたら、どのように対処(あるいは応戦)するか……綿密な計画を練った秀康は、昭綱に指示しておいたということです。
……御家人等聞もあへず、鞭鐙を合せて、馳せ参る、大番の侍六番が其内、二番は既に御供に参る、残る所の四番をも、皆まゐらすべしとありしをば、守殿とめ置かれて、御運傾かせ給はんには、たとえ何百万騎を参らすとも、叶はせ給ふべからず、もし御大事あらんには、かくこそ仕るべけれとおもひて、大番の侍をば参らせず候とて、御勢配のやうを、一々に書記し、伊奈に給て帰されたり、徳川殿、あつはれ参河守は、父には生れまさりけりと、御感浅からず、……■終わりに
※『藩翰譜』第一 越前

秀康の将器に感じ入る家康(イメージ)
果たして家康は無事だったのですが(命を救われた石田三成が裏で手を回してくれたのでしょうか?)、後で秀康の態度を聞いて感心しました。
「天晴れじゃ。やはり三河守はわしの子じゃのう。我が将器をしっかりと受け継いでおるわい」
よく言うよ。厄介ばr、もとい養子に出したくせして……まぁ昔のことはさておきまして。
その後も大いに活躍する結城秀康のエピソード、また改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
- 新井白石『藩翰譜 一』国立国会図書館デジタルコレクション
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan